さて、生を受けたときより、死を免れないという道理は賢い御門から卑しい民に至るまで、人はこのことを知っているけれども、実にこれを大事とし、これを嘆く者は千万人に一人もいない。
無常の現れ起こることを見て、疎かったことを恐れ、世間の事に親近していたことを嘆くのであるが、先立つ者ははかなく、留まる者はかしこいように思い、昨日はあのこと今日はこのことと、いたずらに世間の五欲にほだされて、白馬の影がよぎるように羊の歩みが近づく事をしらずに、空しく衣食の獄につながれ、いたずらに名利の穴に落ち、三途の古里に帰り、六道の巷に輪回する事を、心ある人であれば誰が嘆かず、誰が悲しまずにおれようか。
ああ、老少不定は娑婆の習い、会者定離は浮世の道理であるから、今はじめて驚くべきことではないが、正嘉の初めに世を早く去った人のありさまを見ると、幼い子をふりすてたり、老いたる親を留めおいたりして、いまだ壮年の齢にて黄泉の旅に趣く心の中はさぞ悲しかったであろう。行くも悲しみ留まるも悲しむ。かの楚王が神女と交わった情を一片の朝の雲に残し、劉氏が仙客にあった思いを七世の後胤を見て慰めとした。しかし私のような者は何によって愁いを休めようか。「かかる山左ヤマガツのいやしき心なれば身には思のなかれかし」と歌った古人の事さえ思い出されて、末代のわすれがたみにもと、難波の藻塩草をかきあつめ、筆のあとを形ばかりしるしおくのである。
なんと悲しいことか。なんと痛ましいことか。
我らは無始より無明の酒に酔い、六道・四生を輪回して、あるときは焦熱・大焦熱の炎にむせび、あるときは紅蓮・大紅蓮の氷に閉じ込められ、あるときは餓鬼・飢渇の悲しみに逢うて五百生の間飲食の名をも聞くことはない。
あるときは畜生・残害の苦しみをうけて、小さいものは大きいものに飲み込まれ、短いものは長いものにまかれてしまう。これを残害の苦という。
あるときは修羅・闘諍の苦をうけ、あるときは人間に生れて八苦を受ける。生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五盛陰苦等である。
あるときは天上に生れて五衰をうける。
このように三界の間を車輪のごとく回り、父子の中であっても親は親であることを、子は子であることを覚らず、夫婦が巡り合うも巡り合ったことを知らず、迷えることは羊の目に等しく、暗き事は狼の眼と同じである。
我を生みたる母の由来をも知らず、生を受けたる我が身も死の終りを知らない。
ああ、受け難き人界の生を受け、逢い難き如来の聖教に逢いたてまつった。一眼の亀が浮木の穴に逢ったようにである。
今度もし生死の絆を切ることがなく、三界の鳥かごを出ることができないのであれば、どれほど悲しいことであろう。
ここにある智人が来て示して言った。
「あなたの嘆くことはその通りである。このように無常の道理を思い知り、善心を発こす者は麒麟の角よりも希である。この道理を覚らないで、悪心を発こす者は牛の毛よりも多い。あなたが早く生死の苦を離れ菩提心を発こそうと思うのであれば、私は最第一の法を知っているので、志があるならばあなたのためにこれを説いて聞かせよう」
そのとき愚人は座より起って掌を合わせて言った。
「私は日ごろ外典を学び、風月に心をよせているが、いまだ仏教ということを詳しく知らない。願わくば上人、私にこれを説いてください」
そのとき上人は言った。
「あなたは耳を伶倫の耳のように寄せ、目を離朱の眼を借りて、心を静めて我が教えを聞きなさい。
あなたに説いて聞かせよう。
そもそも仏教には八万の聖教といって多くあるが、諸宗の父母であることは戒律に及ぶものではない。インドでは世親・馬鳴等の菩薩、中国では慧曠エコウ・道宣といった人々がこれを重んじた。我が日本においては、第四十五代・聖武天皇の時代に鑒真和尚がこの宗と天台宗の両宗を伝えて東大寺の戒壇を立てた。それ以来今の世に至るまで崇められ重んじられ、長い年月を経て、日々に尊さを増している。
なかでも極楽寺の良観上人は上一人より下万民に至るまでが生身の如来とこの人を仰ぎ奉った。彼の行儀を見ればまさにその通りである。
飯嶋の津で六浦の関米を収穫しては、諸国に道を作り、七道に関所をかまえて人ごとに銭を取って多くの河に橋を渡した。慈悲は如来に等しく、徳行は先達を越えた。あなたが早く生死の苦から離れようと思うのであれば、五戒・二百五十戒を持ち、慈悲を深くして、生き物の命を殺さず、良観上人のように道を作り、橋を渡しなさい。これが第一の法である。あなたは持つか、どうするか」
愚人はますます掌を合わせて言った。
「心して持ちたいと思う。具体的に私にこれを説いてください。そもそも五戒・二百五十戒ということも私たちはいまだ知りません。委細にこれを教えてほしい」
智人はいった。
「あなたはあまりにも愚かである。五戒・二百五十戒ということなど幼児でも知っている。しかしあなたのために説明しよう。
五戒とは、一には不殺生戒・二には不偸盗戒・三には不妄語戒・四には不邪淫戒・五には不飲酒戒である。二百五十戒の事は多いために省略する」
そのときに愚人は礼拝し恭敬して言った。
「私は今日より深くこの法を持ちます」
そこに私の年来の知人で、あるところに隠居する居士が一人いた。私の憂いを慰めるために訪ねてきた。
はじめ過去が広漠として夢に似ている事を語り、最後に行く末の暗澹として見定めがたい事を談じた。
鬱積を晴らし思いを述べた後、私に質問した。
「そもそも人の世にある限り、誰でも後生を思うものである。あなたは何なる仏法を持って出離を願い、また亡者の後世を弔うのか」
私は答えた。
「先日ある上人が来て私のために五戒・二百五十戒を授けてくれた。実に心肝に染まり貴いものであった。私は深く良観上人のように、及ばぬ身であるが悪い道を良くし、深い河には橋をわたそうと思った」
そのとき居士が示した。
「あなたの道心は貴いようであるが愚かである。今語った法は浅ましい小乗の法である。したがって仏は八種の譬喩を設け、文殊はまた十七種の差別を述べたのである。
螢火と日光とたとえたり、水精と瑠璃のようにたとえたのである。このように三国の人師にもその破折した文は多くある。
次に行者を尊重する事であるが、必ずしも人が敬うからといって、法が貴いのではない。それゆえ仏は「依法不依人」と定められている。私が伝え聞く昔の持律の聖者の振る舞いは、殺といったり収といったりすることさえ嫌って別の言葉に置き換え、行雲廻雪には死屍の想を作したのである[美人を見て死体を連想した]。ところが今の律僧の振る舞いを見ると、絹の布をまとい、財宝を蓄え、利息をとって金を貸すことを業としている。教えと行ないが既に相違している。誰も信受しないだろう。
次に道を作り橋を渡すことはかえって人々の歎きとなっている。飯嶋の津で六浦の関米を取ることから多くの人の歎きは多い。諸国七道の関所も旅人の迷惑である。眼前の事実であるがあなたは見ていないのか」
愚人は顔色を変えた。
「あなた程度の智慧で、上人を誹謗し、その法をそしるいわれはない。知りながら言っているのか、愚かであるから言うのか。おそろしいことである」
そのとき居士は笑って言った。
「ああなんとおろかな人だ。彼の宗の間違いを少々話そう。そもそも仏教には大小がある。宗には権実を分けている。鹿野苑で小乗を説いたときには、化城の扉に導いたけれども、霊鷲山で開顕した後ではなんの得益も無い」
そのとき、愚人は茫然として、居士に問うて言った。
「文証も現証も実にもってその通りである。それでは何なる法を持てば、生死の苦を離れ、速やかに成仏するのか」
居士は示して言った。
「私は在家の身であるが、深く仏道を修行して、幼少より多くの人師の話を聞き、おおよその経教をも開いて見たところ、末代の我々のようなあらゆる悪業を積み重ねている凡夫のためには、念仏往生の教えに及ぶものはない。それゆえ慧心の僧都は「そもそも往生極楽の教行は濁世末代の目足である」と言い、法然上人は諸経の要文を集めて一向専修の念仏を弘められたのである。中でも阿弥陀の本願は諸仏を超過して尊い。始めの「無三悪趣」の願より、終りの「得三法忍」の願に至るまで、いづれも悲願はありがたい。しかし第十八の願はとくに我々にとって殊勝である。また十悪・五逆の者をも嫌わず、一念・多念をも選ばず救われる。したがって、上一人より下万民に至るまで、この宗を尊ぶ事は他と異なるのである。また往生する人もどれほど多いことか」
そのとき愚人は言った。
「実に小乗を恥じて大乗を慕い、浅きを去って深きに就くのは仏教の道理だけではなく、世間の法でもある。私は早く念仏宗に移ろうと思う。詳しくその宗旨を語ってほしい。彼の仏の悲願の中で、五逆・十悪をも選ばないという五逆とは何か。十悪とは何か」
智人は言った。
「五逆とは、父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身から血を出し、和合僧を破壊する。これを五逆という。十悪とは、身に三、口に四、意に三である。身に三とは殺・盗・婬であり、口に四とは妄語・綺語・悪口・両舌であり、意に三とは貪・瞋・癡である。これを十悪という」
愚人は言った。
「私は今理解した。今日よりは他力往生に頼みをかけよう」
ここで愚人がまた言った。
「非常に勢いのあるすぐれた密宗の行者がいる。この人も私の歎きをなぐさめるために訪れ、はじめには狂言綺語の道を示し、最後には顕密二宗の法門を語って私に質問した。いったいあなたはどのような仏法を修行し、どのような経論を読誦しているのか」
私は答えた。
「私は先日ある居士の教えにしたがって、浄土の三部経を読み、西方極楽の教主に頼みを深くかけた」
行者は言った。
「仏教には二種類ある。一には顕教・二には密教である。顕教の極理は密教の初門にも及ばないという。あなたが執着している法を聞けば、釈迦の顕教である。私が所持する法は大日覚王の秘法である。実際に三界の火宅を恐れ寂光の宝台を願うのであれば、当然顕教を捨てて密教につくべきである」
愚人は驚いて言った。
「私はいまだ顕密二道という事を聞いていない。どのような教えを顕教といい、何なる教えを密教というのか」
行者は言った。
私は頑なで愚かである。少しの学才もない。しかし今一・二の文を挙げてあなたの矇昧を開こう。顕教とは舎利弗等の願いによって、応身如来が説かれた諸教である。密教とは自受法楽のために、法身たる大日如来の金剛薩タを所化として説かれた大日経等の三部である」
愚人は言った。
「まことにその通りである。前からの過ちをひるがえして、賢い教えにつきたいと思う。
またここに浮草のように諸州を回り、蓬ヨモギのように各地を転ずる出家者が、いつとも知れぬ間に来て、門の柱に寄り立って黙ってほくそ笑んでいる。
怪しんで尋ねると、始めはなにも言わない。後に強く問い立てると、その者は言った。
「月は蒼々として風は忙々と吹く」
姿形は常人と異なり、言語もまた通じない。その理由を探ってみると、当世の禅法であった。
私はその人の有り様を見、その言語を聞いて、仏道の良因を質問すると、出家者は「修多羅の教えは月をさす指である。教網によるのは言語にとらわれた妄想である。我が心の本分に立ち戻ろうとして説かれた法はその名を禅という」と言った。
愚人は言った。
「私はその教えを聞いてみたい」
出家者は言った。
「本当にその志が深いのであれば、壁に向って坐禅して、本心の月を澄ませなさい。このことはインドでは二十八祖系が乱れず伝承し、中国では六祖の相伝が明白である。あなたはこのことを悟らずに教網にかかっている。まことに不憫である。是心即仏・即心是仏であるから、この身のほかに更に何か仏があるのではない」
愚人はこの言葉を聞いて、じっくりと諸法を観じ、静かに道理を案じて言った。
「仏教は千差万別であり、理非を明らかにすることは難しい。そうであるから、常啼菩薩は東に請うて、善財童子は南に求め、薬王菩薩は臂を焼き、楽法梵志は皮を剥いだ。善知識には実に値い難い。教内と談じたり教外と言ったりしている。この道理を判断しようとしてもいまだに淵底を究めることはできず、法水に臨む者は深淵の思いを懐き、人師を見る者は薄冰の心を成している。このことから、仏は金言に依法不依人と定め、また爪の上の土と譬えている。もし仏法の真偽を知る人がいれば、尋ねて師としたい。求めて崇めたい。
そもそも人界に生を受けることを天上の糸にたとえ、仏法を見聞することは浮木の穴にあうのと同じてあるという。身を軽んじて法を重んじなければならないと思ったので、衆山に登り嘆きに引かれて諸寺を回った。足に任せて一つの巌窟に至ったところ、後ろには青山が高くそびえ、松風は常楽我浄を奏で、前には碧水がゆったりと岸に波うって、四徳は波羅蜜を響かせる。深い谷一面に開いた花も中道実相の色を現し、広野にほころぶ梅も一念三千の薫を添えている。言語では表現できず、心の働きを越えた境界である。商山の四皓のいた所ともいうべきか。古仏の経行の後であるのか。景雲は朝に立ち、霊光は夕べに現れる。ああ、心では計ることはできない。言葉で言い表すこともできない。私はこの場所を思いにふけながら歩き回り、さまよいながらたたずんでいた。そこに忽然と一人の聖人がおられた。その行儀を拝すれば法華経を読誦する声は深く心肝に染まり、静かな窓の戸から中を伺えば、奥深い教義の研究に没頭していた。
そのとき聖人が私の求道の志をくみとり、言葉を和げて私に質問した。
「あなたは何のためにこの深山の岩屋にきたのか」
私は答えた。
「生を軽んじて法を重くするためです」
聖人は質問した。
「その修行とは」
私は答えて言った。
「もとより私は世俗に交っていまだ出離を弁えておりません。たまたま善知識にあって、はじめには律、次には念仏・真言、そして禅と、これらを聞いてきましたがいまだ真偽を弁えることができません」
聖人は言った。
「あなたのことばを聞けば実にその通りである。身を軽んじて法を重くするのは先聖の教えであり、自分も存じている。そもそも、上は非想天の雲の上から、下は那落の底まで、生を受けて死を免れる者はいるだろうか。それゆえ外典のいやしい教えにも、朝アシタに紅顔あって世路に誇れども、暮ユウベに白骨となって郊原に朽ちぬとあるのである。雲の上に交って黒髪も鮮やかに、舞う雪がたもとをひるがえしても、その楽しみはというと夢の中の夢みたいなものである。山のふもと・蓬の下が終の棲家である。玉の台ウテナにのぼり、錦の帳トバリに伏したとしても、後世の道には何の助けにもならない。小野小町・衣通ソトオリ姫の花の姿も無常の風に散り、樊カイ・張良のように武芸に達していても、獄卒の杖には悲しむのである。
したがって心ある古人は『あわれである。鳥辺山の夕べに立つ煙、送る人とていつまでとどまれるだろうか。木の末の露も本の雫も、遅れるか先立つかの違いがあるが、結局は同じように消えていく』とうたった。
先亡後滅の道理はいまはじめて驚くべきことではない。願っても願うべきは仏道であり、求めても求めるべきは経教である。だいたいあなたのいうところの法門を聞くと、小乗であったり大乗であったりである。位の高低はしばらく置くとして、それらはかえって悪道の業因となる」
ここで愚人は驚いて言った。
「如来一代の聖教はいずれも衆生を利益するためである。始め七処八会の座より、終りの跋提河バツダイガの儀式まで、何れも釈尊の所説でないものはない。たとえ一分の勝劣を判じたとしても、どうして悪道の因といえるだろうか」
聖人は言った。
「如来一代の聖教には、権教もあり実教もある。大乗もあり小乗もある。また顕教・密教の二道に分かり、その品は一つではない。ぜひその大略を示してあなたの迷いを悟らせねばならない。
そもそも三界の教主釈尊は十九歳で伽耶城を出られて、檀特山に篭って難行苦行し、三十歳で成道するときに、三惑をにわかに破し、無明の大夜がここに明けたので、当然本願に任せて一乗である妙法蓮華経を説くべきであったが、機縁は万差であり、その機は仏乗を理解するに堪えられなかった。したがって四十年余りの間に、衆生の機縁を調えて、後の八箇年に至って出世の本懐たる妙法蓮華経を説かれたのである。
それゆえ仏の御年七十二歳のとき、序分である無量義経で説き定められていわれた。
「私は先に寂滅道場、菩提樹の下に六年間端坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得た。仏眼をもって一切の諸法を観じ、ありのままを宣説できないと知った。なぜかというと、多くの衆生の性慾が不同であることを知ったからで、性慾が不同であるから種々に法を説いた。種々に法を説くことには方便の力を用いた。この四十年余りには未だ真実を顕わさなかった」
この文の趣意は、仏は御年三十にして寂滅道場・菩提樹の下に端座し、仏眼で一切衆生の心根を御覧になったが、衆生の成仏の直道である法華経を説くわけにはいかなかった。そこで素手で赤児をあやすように、様々な方便で四十年余りの間はいまだ真実を顕わさなかった、と年数をあげて、青天に太陽が出現し、闇夜に満月がかかるように、説いてはっきりされた。
この文を見て、なぜ同じ信心をするにおいて、仏が偽りであったと説かれている法華経以前の権教に執着して、価値のない三界の元の家に帰るのであろう。
したがって法華経の一の巻方便品にはこうある。
「正直に方便を捨てただ無上道を説く」
この文の趣意は、前に説いた四十二年の経々、あなたが語るところの念仏・真言・禅・律を正直に捨てよということである。
このように文に明白なうえ、重ねていましめて第二の巻譬喩品でこういわれた。
「ただ願って大乗経典を受持し乃至余経の一偈をも受けてはならない」
この文の趣意は、年数などかれこれわずらわしくいう必要はない。結局法華経以外の経を一偈も受けてはいけないということである。
ところが、八宗の異義は蘭や菊のように咲き乱れ、道俗の形も相異しているのに、一同に法華経は崇めているなどという。そうするとこれらの文をどのように弁えているのか。正直に捨てよと言われて、余経の一偈をも受持してはいけないと禁められているのに、念仏や真言、禅や律なども信仰している。これは余経ではないのか。
今この妙法蓮華経とは、諸仏出世の本意であり、衆生成仏の直道である。
したがって釈尊は付属を宣べ、多宝如来は証明し、諸仏は舌相を梵天に付けてこれらはすべて真実であると言われたのである。
この経は一字でさえ諸仏の本懐であり、一点でも多生の助けとなる。一言一語も虚妄であるはずがない。この経の戒めを用いない者は諸仏の舌を切り賢聖をあざむく人ではないか。その罪は実に恐ろしい。
それゆえ二の巻にこうある。
「もし人がいて信じることなくこの経を毀謗したならば、則ち一切世間の仏種を断つこととなる」
この文の趣意は、もし人がこの経の一偈一句にでも背いたなら、過去・現在・未来・三世十方の仏を殺した罪となると定めているのである。
経教の鏡をもって今の世にあてはめてみれば、法華経に背いていない人は実に存在しがたい。事の心を案じるならば、不信の人はなおさら無間地獄を免れない。まして念仏の祖師・法然上人は法華経をもって念仏に対して、抛ナゲウてなどと言っている。五千・七千の経教のどこに法華経を抛てという文があるのか。
念仏三昧を発得した行者で、生身の阿弥陀仏と崇められている善導和尚は、五種の雑行を立てて法華経は千中無一などといって、千人持ったとしても一人も仏になることはできないと主張した。経文には「もし法華経を聞く者があるならひとりとして成仏しないことはない」と説かれており、この経を聞けば十界の依報・正報はすべて仏道を成ずるとある。したがって、五逆罪を犯した調達[提婆達多]は天王如来の記別を受け、成仏の器でない五障の竜女も南方世界で即座に成道の姿を示した。ましてまた虫けらにも六即を立てて、いかなる機根も漏らす事はない。善導の言葉と法華経の文は実に天地雲泥の違いがある。どちらに付くべきなのか。とりわけその道理を思うと、(善導は)諸仏・衆経の怨敵であり聖僧や衆人の仇敵である。経文の通りであるなら無間地獄を免れることはできない」
このとき愚人は顔色を変えて言った。
「あなたはいやしい身で好き勝手に暴言を吐く。悟って言っているのか迷って言っているのか。道理にかなっているのか外れているのか理解しがたい。
かたじけなくも善導和尚は阿弥陀善逝の応化であり、或いは勢至菩薩の化身といわれている。法然上人も同様である。善導の後身といわれている。上古の先達であるうえ、行徳は他より抜きんでて優れ、智解は淵底を極めている。どうして悪道に堕ちたといえようか」
聖人はいった。
「あなたのいうことはもっともである。私も崇めて信仰していた。ただし仏法はみだりに人の貴賎には依るべきではない。ただ経文を先とすべきである。身が卑しいからとその法まで軽んじてはならない。「有人楽生悪死・有人楽死悪生(人の生をねがい死をにくむあり。人死をねがい生をにくむあり)」の十二字を唱えた毘摩大国の狐は帝釈天の師と崇められ、「諸行無常」等の十六字を説いた鬼神は雪山童子に貴ばれた。これはしかし狐と鬼神が貴いのではない。ただ法を重んずる故である。それゆえ私たちの慈父である教主釈尊の雙林最後の御遺言である涅槃経の第六には「依法不依人」といって、普賢・文殊等の等覚已還の大菩薩が法門を説かれても、経文によらなければ用いてはならないと説かれている。
天台大師は「経典と符合するものは記録してこれを用いよ。文が無く義も無いものは信受してはいけない」といわれた。この釈の趣意は経文に明らかであれば用いよ、文証が無いものは捨てよということである。
伝教大師は「仏説に依って口伝を信じてはいけない」といわれた。前の釈と同意である。
竜樹菩薩は「経典の正論に依って、経典の邪論に依ってはならない」といわれた。趣意は経典であっても法華経以前の権教は捨ててこの法華経につきなさいということである。
経文にも論文にも法華経に対して、諸余の経典を捨てよという事は明らかである。
ところが開元の録に挙げられている五千・七千の経巻には、法華経を捨てよや抛てと避けることも、また雑行に収めて捨てなさいという経文も、全く無い。よって確実な経文を出して善導・法然の無間地獄の苦を救ってみなさい。
今の世の念仏の行者や、俗男・俗女も経文に相違するだけではなくまた師の教えにも背いている。
五種の雑行といって念仏を称える人が捨てなければならないことを記した善導の釈がある。
その雑行とは選択集にこうある。
「第一に読誦雑行とは。上の観経等の往生浄土の経を除いてそれ以外大乗・小乗、顕密の諸経において受持読誦することをすべて読誦雑行と名づける。[中略]第三に礼拝雑行とは。上の阿弥陀を礼拝すること以外一切諸余の仏や菩薩等及び諸の世天に対して礼拝恭敬することをすべて礼拝雑行と名づける。第四に称名雑行とは。上の阿弥陀の名号を称えること以外すべての仏・菩薩等及び諸の世天等の名号を称することをすべて称名雑行と名づける。第五に讃歎供養雑行とは。上の阿弥陀仏を除いて一切諸余の仏・菩薩等及び諸の世天等に対して讃歎したり供養することすべてを讃歎供養雑行と名づける」
この釈の趣意は、第一の読誦雑行で念仏を称える道俗の男女の読むべき経と読んではならない経があると定めた。読んではいけない経とは法華経・仁王経・薬師経・大集経・般若心経・転女成仏経・北斗寿命経、とりわけ普通に人々が読む法華経八巻の中の観音経であり、これらの諸経を一句一偈でも読んだなら、たとえ念仏を志す行者であっても雑行に収められて往生できないというのである。
私が愚かな眼で世間を見れば、たとえ念仏を称える人であってもこれらの経を読む人は多くおり、師弟敵対して七逆罪となっている。
また第三の礼拝雑行では念仏の行者は阿弥陀三尊以外は上に挙げる諸仏菩薩・諸天善神を礼拝することは礼拝雑行と呼んで、またこれを禁じている。しかし日本は神国として伊奘諾イザナギ・伊奘册イザナミの尊ミコトがこの国を作り、天照大神が垂迹御坐して御裳濯河ミモスソカワの流れは久しくして今まで絶えることはない。どうしてこの国に生を受けてこの邪義を用いるのであろうか。また大空の下に生まれて三光の恩を蒙りながら、誠に日月・星宿を破る事はもっとも恐れ多いことである。
また第四の称名雑行では念仏を称える人は称えるべき仏・菩薩の名があり、称えてはならない仏・菩薩の名があると定めている。称えるべき仏菩薩の名とは阿弥陀三尊の名号であり、称てはいけない仏菩薩の名号とは釈迦・薬師・大日等の諸仏、地蔵・普賢・文殊・日月星、二所と三嶋と熊野と羽黒と天照大神と八幡大菩薩である。これらの名を一遍でも称える人は念仏を十万遍・百万遍称えたとしても、この仏菩薩・日月神等の名をとなえた罪によって無間地獄に堕ちることがあっても、往生することはないという。
私が世間を見ると、念仏を称える人もこれらの諸仏菩薩・諸天善神の名をとなえているのでこれまた師の教えに背いている。
第五の讃歎供養雑行では念仏を称える人が供養すべき仏は阿弥陀三尊であり、そり以外は上に挙げた仏菩薩・諸天善神に香華の少しでも供養した人は念仏の功徳は貴いというけれども、この過ちによって雑行になるとして避けている。ところが世間を見れば社壇に詣でては幣帛ヘイハクを捧げ、寺院に入っては礼拝をしている。これまた師の教えに背している。
あなたがもし不審に思うならば選択集を見なさい。その文は明白である。
また善導和尚の観念法門経には「酒肉五辛は誓って発願して手に取ってはならない。口に入れてはならない。もしこの言葉に相違すれば、即ち身口ともに悪瘡を病むであろうと願いなさい」とある。この文の趣意は念仏を称える男女・尼法師は、酒を飲んではいけない、魚や鳥も食べてはいけない、そのほかニラ・ヒル等の五つの辛くにおいのする物を食べてはいけない、。これを守らない念仏者は、今生では悪瘡が体にでき、後生では無間地獄に堕ちるということである。しかし念仏を称える男女・尼法師は、この戒めをかえりみず、ほしいままに酒を飲み、魚や鳥を食べている。自ら剣を飲むたとえのようである」
そこで愚人は言った。
「誠にこの法門を聞くと、念仏の法門は実に往生するとはいえ、その行儀や修行は難しい。ましてその頼りとする経論はすべて権説である。往生できないことは明らかである。
ただし真言を破折することについてはそのいわれはない。そもそも大日経とは大日覚王の秘法である。大日如来より系統も乱れず、善無畏や不空がこれを伝え、弘法大師は日本に両界[金剛界・胎蔵界]の曼陀羅を弘めた。尊高三十七尊を描いた秘奥なるものである。したがって顕教の極理はまだ密教の初門にも及ばない。このことを後唐院[智証大師]は「法華経もなお及ばない。ましてその他の教えはなおさらである」と解釈された。このことはどう心得るべきか」
聖人示して言った。
「私もはじめは大日如来を頼みとして密宗に志を寄せていた。しかしかの宗の奥底を見ると、その立義もまた謗法であった。あなたがいうところの高野の大師は嵯峨天皇の時代の人師である。しかし皇帝より仏法の浅深を判釈すべき宣旨を受けて十住心論十巻之を著した。この書は広博であるので肝要を取って三巻にこれを縮め、その名を秘蔵宝鑰と名づけた。始めの異生羝羊心イシヨウテイヨウシンから終わりの秘密荘厳心に至るまで十に分別し、第八を法華・第九を華厳・第十を真言と立てて、法華経は華厳経にも劣るので、大日経に対しては三重の劣と判じて『このような経教は自らは仏乗と名づけるけれとせも、後に望めば戯論となる』と書いて、法華経を狂言綺語といい、釈尊は無明に迷う仏と下した。
これによって伝法院を建立した弘法の弟子の正覚房は、法華経は大日経の履物とりにも及ばず、釈迦仏は大日如来の牛飼にも足らないと書いたのである。
あなたは心を静めて聞きなさい。
釈尊一代の五千・七千の経教や外典の三千余巻に法華経は戯論で三重の劣で華厳経にも劣り、釈尊は無明に迷う仏であり、大日如来の牛飼にも足らないなどという確かな文はあるのか。
たとえそのような文があるといっても、よくよく思案するべきではないか。
経教はインドより中国に伝わった時、訳者の意向によって経論の文は定まらなかった。そこで後秦の羅什三蔵は『私が中国の仏法を見たところ、多くは梵本と相違している。私が翻訳する経にもし誤りがなければ、自分が死んだ後、身は不浄であるから焼けるとしても、舌だけは焼けない』と常に説法していたが、はたして焼かれる時、御身は皆骨となってしまったが、御舌だけは青蓮華の上に光明を放って日輪を奪うほどであった。有り難き事である。
かくして特にかの三蔵が翻訳した法華経は中国にやすやすと弘まったのである。
それゆえ延暦寺の根本大師が諸宗を責められたとき、『法華を翻訳した三蔵は舌が焼けなかった験シルシがある。あなたがたの依経は皆誤りである』と破折されたのはこのことである。涅槃経にも我が仏法は他国へ移る時誤りが多いだろうと説かれているので、経文にたとえ法華経は無益であり釈尊は無明に迷う仏であるとあったとしても、権教・実教・大乗・小乗・説時の前後・訳者を十分調べるべきである。
いわゆる老子・孔子は九思一言・三思一言といい、周公旦は食事のとき三度吐き、髪を洗うときは髪を三度にぎったという。外典のような浅い書でさえこうである。まして内典という深義を習う人はいうまでもない。そのうえこの義は経論に跡形もない。『人を毀り法を謗ずるならば悪道に堕ちろだろう』というのは弘法大師の釈である。必ず地獄に堕ちることは疑い無いものである」
ここに愚人は茫然として忽然と嘆き、しばらくしていった。
この大師は内外の明鏡・衆人の導師である。徳行は世に勝れ、名誉は普く聞こえた。中国から三鈷を八万余里の海上を越えて投げると日本に至り、心経の旨をつづれば、蘇生したものが道にあふれたという。したがってこの人ただ者ではなく、仏が姿を変えてこの世に現れた化身である。仰いで信を取らなければいけない。
聖人はいう。
私もはじめはそうであった。しかし仏道に入って理非を考えてみれば、仏法の邪正は決して神通力を得て自在に奇蹟を行うことによるものではない。したがって仏は「依法不依人」と定められた。前に示したとおりである。かの阿伽陀仙人はガンジス河を片耳にたたえること十二年・耆兎仙人は一日ので大海を飲み干した。張階は霧を吐き、欒巴ランパは雲を吐いた。しかしながらいまだ仏法の是非を知らず、因果の道理をも弁えていない。中国の法雲法師は法華経を講義した際、たちどころに天から花を降らせたが、妙楽大師は「感応はそのようにあってもまだ道理に称ってはいない」といって、いまだ仏法を知らないと破折された。
さてこの法華経というのは、已今当の三説を嫌って已前の経は「未顕真実」と打ち破り、肩を並べる無量義経は「今説」の文をもって責め、已後の涅槃経は「当説」の文をもって破る。実に三説第一の経である。
第四の巻にこうある。
「薬王、今あなたに告げる。私が説く経典の中において法華最は第一である」
この文の意は霊山会上で薬王菩薩という菩薩に仏が告げていうには、「始め華厳より終わり涅槃経に至るまで無量無辺の経があり、恒河の沙のように数は多い。その中では今の法華経が最第一である」と説かれている。ところが弘法大師は一の字を三と読まれたのである。
同巻にまたこうある。
「私が仏道のために無量の土において、始めより今に至るまで広く諸経を説く。しかもその中においてこの経は第一である」
この文の意はまた釈尊が無量の国土にあって、名字を替えたり、年紀を不同になしたり、種々の形を現して説かれた諸経の中では、この法華経を第一と定められたのである。
同じく第五巻には「最もその上にある」と宣べて、大日経・金剛頂経等の無量の経の頂にこの経はあると説かれたのを、弘法大師は最もその下にあると思ったのである。釈尊と弘法・法華経と宝鑰ホウヤクとは実に相違する。釈尊を捨てて弘法に付くべきか、また弘法を捨てて釈尊に付くべきか。また経文に背いて人師の言葉に随うべきか、人師の言葉を捨てて金言を仰ぐべきか。いずれを用いていずれを捨てるか。よく心得るべきである。
また第七の巻薬王品で十喩を挙げて教えを讃嘆している。
第一は水の譬である。
江河を諸経に譬え、大海を法華に譬えている。ところが大日経は勝れており法華は劣っているという人は、大海は小河よりも水が少ないという人である。しかし今の世の人は、海は諸河に勝る事を知っているが、法華経が第一である事はわからない。
第二は山の譬である。衆山を諸経に譬え、須弥山を法華に譬えている。須弥山は高さ十六万八千由旬の山である。何れの山も肩を並べられない。法華経は大日経に劣るという人は、富士山は須弥山より高いという人である。
第三は星と月の譬えである。諸経を星に譬え法華経を月に譬えている。月と星の何れが勝っていると思うか。
これらの次には「この経もまたまたこの通りである。一切の如来の所説、もしくは菩薩の所説、もしくは声聞の所説、これらの数々の経法の中で最もこれが第一である」といって、この法華経はただ釈尊一代の第一と説かれているだけではなく、大日及び薬師・阿弥陀等の諸仏・普賢・文殊等の菩薩の一切の所説・諸経の中でこの法華経が第一と説いている。それゆえこの経に勝っているという経があるならば、外道天魔の説と知るべきである。
そのうえ大日如来というのは久遠実成の教主釈尊が四十二年間、和光同塵[仏や菩薩が衆生を教化するため威徳の光を和らげ、本地を隠して仮の姿で衆生の間に出現すること]してその機根に応ずる時、三身即一の如来がしばらく毘盧遮那[法身仏]を示したのである。このゆえに実相を開顕したときには、釈迦の応化と見られるのである。このゆえに普賢経には「釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名づけ、その仏の住処を常寂光と名づく」と説いている。
今、法華経は十界互具・一念三千・三諦即是・四土不二を明かし、そのうえ一代聖教の骨髄たる二乗作仏・久遠実成は法華経に限る法門である。あなたがいうところの大日経・金剛頂経等の三部の秘経にこれらの大事は説かれているのか。善無畏・不空等はこれらの大事の法門を盗み取って、自分の依経の眼目としたのである。もともとの経や論には跡形もない誑惑である。急いでこれを改めるべきである。
そもそも大日経とは四教を含蔵して、尽形寿の戒等を明かしている。中国の人師は天台所立の第三時・方等部の経であると定めている権教である。なんとあさましいことであろう。あなたが本当に求道心があるのならば、急いで過去の過ちを悔いなさい。
さて所詮の極理を考えてみると、この妙法蓮華経こそが釈尊一代の観心の法門を一念におさめ、十界の依正を三千におさめているのである。
このとき愚人はいささか和いで言った。
経文は明鏡である。疑いをはさむことはできない。しかし法華経が三説に秀でて、一代のなかで最も勝れているといっても、言説に制約されず、経文に留まらない我らの心の本分を究める禅の一法にはかなわない。およそ万法を払いすてて、言語の及ばないところを禅法と名づけたのである。
したがって、跋提河バツダイガの辺り、沙羅林の下で釈尊が金棺から出て、拈華微笑してこの法門を迦葉に付属して以来、インドでは二十八祖が系統の乱れなく継承し、中国では六祖が次第に弘通した。達磨は西インドでは二十八祖の終わりであり、中国においては六祖の始めである。相伝を失わず、教網に滞ってはならない。
このゆえ、大梵天王問仏決疑経にはこうある。
「私には正法眼蔵の涅槃妙心実相無相微妙の法門がある。教外に別に伝え、文字を立てず、摩訶迦葉に付属する」といって、迦葉にこの禅の一法を教外に伝えたと見える。すべての経文は月をさす指であり、月を見た後は指は不用である。心の本分たる禅の一理を知った後は仏教に心を留めるべきであろうか。したがって古人は「十二部経は総てこれ無用の文字である」といっている。したがって、この宗の六祖慧能の壇経を開いてみると、実にもってその通りである。一言の下に心性にかない真理を会得した後は、教は不用である。この道理をどう考えるのか。
聖人はさとして言った。
あなたはまず法門をさしおいて道理を考えなさい。だいたい釈尊一代の大綱を学ばず、十宗の奥義を究めないで、国を諌め人を教えることができるのか。
あなたが語る禅については、私は最も前に習い極めており、その至極を見れば甚だしく誤りである。
禅に三種ある。いわゆる如来禅と教禅と祖師禅である。あなたが言った祖師禅等の一端を示すからよく聞いてその旨を知りなさい。
もし教を離れてこれを伝えるというなら、教を離れて理はなく理を離れて教は無い。理はそのまま教、教はそのまま理という道理をあなたは知らないのか。拈華微笑して迦葉に付属されたというのも教である。不立文字という四字も即ち教であり文字である。この事は日本でも中国でも両国で言い古されており、今言えば事は新しいようであるが、一・二の文を示してあなたの迷いを払いたい。
補註十一にこうある。
「またもし言説にこだわるのがいけないというのならば、しばらくの間も娑婆世界では何をもって仏事をなすのか。禅徒もどうして言説をもって人に示さないのであろうか。文字を離れて解脱の義を語ることはできない。どうして聞くことができるのか」
また次ぎにこうある。
「達磨がインドから来て、直指人心・見性成仏を説いたという。しかし、華厳等の諸大乗経にこの事が明かされていないというのか。ああ世人は何と愚かなのか。あなたたちは必ず仏の所説を信じるべきである。諸仏如来の言葉に虚妄はない」
この文の意味はこうである。もし教文にこだわり、言説にとらわれるといって、教えの外に修行するというのであれば、この娑婆世界でどうして仏事・善根をなすことができるだろうか。そのようにいうところの禅人も人に教える時は言葉ではいわないというのか。そのうえ、仏道の悟りを伝えるとき、文字を離れてその義を説くことはできない。また達磨が西から来て、直ちに人心を指して仏であるといった。この程度の理は華厳・大集・大般若等の法華経以前の権大乗経にも各所に説かれている。これを特に優れた事とするのはまったくいう価値のないことである。ああ今の世の人はどうしてこうもゆがんだ見方をするのか。ただ中道実相の理を体得した妙覚果満の如来の真実の言葉を信じるべきである。
また妙楽大師の弘決の一にこの理をこう解説している。
「世の人が教えをないがしろにして、ただ理観を尊ぶことは誤りである」
この文の意味は、今の世の人々は観心・観法を先として、経教を尋ねて学ぼうとしないで、かえって教をあなどり経を軽んじている。これは誤りであるという文である。
そのうえ今の世の禅人は自宗にさえ迷っている。続高僧伝を開いてみると、習禅の初祖達磨大師の伝には、「教によって宗を悟る」とあり、如来一代の聖教の道理を習学して、法門の趣旨や各宗の沙汰を知るべきであるという。また達磨の弟子・六祖の第二祖慧可の伝には、「達磨禅師が四巻の楞伽経を慧可に授けて『私が中国の地を観ると、ただこの経のみが適している。あなたがこれらよって修行するならば、自ずから世を救済することができるだろう』といった」とある。
この文の意味は、達磨大師がインドから中国に来て四巻の楞伽経を慧可に授けていうには、自分がこの国を見ると、この経が特に勝れている。あなたはこれを受持し修行して仏に成りなさい、ということである。
これらの祖師は既に経文を第一としている。もしこのことから、経に依るというならば大乗か小乗か権教か実教かをよくよくわきまえるべきである。あるいは経を用いる場合には、禅宗も楞伽経・首楞厳経・金剛般若経等によっている。しかしこれらはすべて法華経以前の権の教えであり、真実を隠した蔵の説である。ただ諸経に「是心即仏・即心是仏」等の理の一面を説いた一・二の文と句とに迷って、大小・権実・顕露・覆蔵などの相違も尋ねず、ただ不二を立てて而二を知らず、「謂己均仏(自分と仏は等しい)」の大慢を起こしているのである。かのインドの大慢の迹をつぎ、中国の三階禅師の古風を追うものである。しかし大慢は生きながら無間地獄に堕ち、三階は死んだのち大蛇と成った。恐ろしい話である。
釈尊は三世を了達された解了と、朗かに妙覚果満の智月で潔く未来を鑑みられ、像法決疑経に記された。
「諸の悪比丘あるいは禅を修行する者は、経論によらずに自らの見解に執着して、非を是とし、邪と正とを分別することができず、あまねく道俗に向かって、このように言う。『私は正しい法門を知り、悟っている』正しく知りなさい。この人は速やかに我が法を滅ぼす」
この文の意味は、諸の悪比丘がいて禅を信仰し、経論をも尋ねず、邪見を根本として、法門の是非を弁えず、しかも男女・尼法師等に向かっても自分こそは法門を知っているが、人は知らない、といってこの禅を弘めるだろう。まさに知るべきである。この人は我が正法を滅ぼすだろうということである。
この文をもって今の世を見れば、あたかも符契のように合致する。あなたは慎むべきであり、恐れるべきである。
先ほど述べたインドに二十八祖がいて、この法門を口伝したということであるが、その証拠は何に出ているのか。仏法を相伝する人は、二十四人あるいは二十三人とある。しかし二十八祖と立てているが、そのことの出所の翻訳は何にあるのか。まったく見あたらない。この付法蔵の人の事は勝手に書くべきではない。如来の記文に明らかである。
その付法蔵伝にこうある。
「また比丘がおり、名づけて師子という。ケイヒン国において大いに仏事をなす。時にかの国王を弥羅掘ミラクツと名づけ、邪見が盛んで心に敬信は無く、ケイヒン国の塔寺を破壊し衆僧を殺害した。ついに利剣を用いて師子を斬る。首の中に血は無く、ただ乳のみが流出した。法を相伝する人はこのとき絶えた」
この文の意味は、仏が自分の涅槃の後に、我が法を相伝する人は二十四人である。その中の最後に弘通する人に当たる者をば師子比丘という。ケイヒン国という国において我が法を弘めるだろう。かの国の王は檀弥羅王という。邪見・放逸であり仏法を信じないで、衆僧を敬わず堂塔を破壊し消失させ、剣をもって諸僧の頚を切るだろう。そして師子比丘の首を切った時に首の中には血は無く、ただ乳のみが出る。この時に仏法を相伝する人は絶えるであろう、と定められた。
はたして仏の予言に違わず、師子尊者が頚を切られた事はその通りである。王の腕も共に落ちてしまった。二十八祖を立てる事ははなはだ間違った見解である。禅の誤りはここより起こったのである。今、慧能が壇経に二十八祖を立てた事は、達磨を高祖と定める時、師子と達磨との年代が遥かな間であるので、三人の禅師を自分で作って入れ、インドから伝わる付法蔵の系統は乱れていないといって、人に尊重させるための偽り事なのである。
この事は中国でいいふるされたことである。補註の十一にこうある。
「今天台宗では二十三祖を相承している。誤りのあるわけがない。もし二十八祖を立ててもまだ所出の翻訳を見ていない。近来、更に石に刻み、版に彫り、七仏二十八祖を図にあらわし、各々一偈を添えて伝授相付することがある。ああなんと仮託の甚だしいことであろう。識者に力があるのなら、ぜひこの弊害を改めるべきである」
これも、二十八祖を立てて石にきざみ、版にちりばめて伝える事ははなはだ誤りである。この事を知る人がいるなら、この誤まりを改めなおせという意味である。祖師禅がたいへん誤りであることはここに理由がある。
先に引いた大梵天王問仏決疑経の文を教外別伝の証拠としてあなたは引用した。既に自語相違である。
そのうえこの経は説相が権教である。また開元と貞元のふたつの目録にも全く載せていない。これは録外の経であるうえ、権教と思われる。したがって世間の学者は用いないのであり、証拠とする価値がないのである。
そもそも、今の法華経を説かれるとき、利益を受けた人々の中で、迹門の百界千如・一念三千が明かされた時、敗種の二乗は仏種を萠した。四十二年間は永不成仏と嫌われて、いたる所の集会で罵詈誹謗の音だけを聞き、人界や天界の衆生にに思いうとまれて、既に飢え死にするばかりの人々も今の経に至って、舎利弗は華光如来、目連は多摩羅跋旃檀香如来、阿難は山海慧自在通王仏、羅ゴ羅はトウ七宝華如来、五百の羅漢は普明如来、二千の声聞は宝相如来の記別を受けた。顕本遠寿が明かされたときは、微塵ほどの多くの数の菩薩が悟りを深めてその位は大覚にのぼった。
したがって、天台大師の釈を披見すると、「他経には、菩薩は仏になると説くが二乗の得道は永遠にない。善人は仏になると説くが悪人の成仏を明かしていない。男子は仏になると説くが女人は地獄の使いと定めている。人・天は仏になると説くが、畜類は仏になるとは説いていない。ところが今の経はこれらがすべて仏になると説く」とある。なんとたのもしいことであろう。末代濁世に生を受けたけれども提婆達多のよう五逆罪を造らず、三逆罪も犯さない。ところが提婆達多でさえ天王如来の記別を得た。まして犯さない我等の成仏は間違いない。八歳の竜女は既に蛇身を改めずに南方に妙果を証得した。まして人界に生を受けた女人の成仏は間違いない。
ただ得難いのは人身であり、値い難きは正法である。あなたも早くに邪を翻えし正に付き、凡を転じて聖を証得しようと思うならば、念仏・真言・禅・律を捨ててこの一乗妙典を受持するべきである。そうすれば妄染の塵穢を払って、清浄の覚体を証する事は疑いない。
そこで愚人は言った。
今、聖人の教誡を聴聞して、日ごろの迷いはたちまち晴れた。天真発明というべきであろう。理非が顕然であるから、誰が信仰しないでいられよう。
ただし世間を見れば、上一人より下は万民に至るまで、念仏・真言・禅・律を深く信受しているので、国土に生を受けながらどうして王の命に背くことができるだろう。そのうえ、我が親といい祖先といい、みんな念仏等の法理を信じて他界の雲に交ってしまっている。また、日本には上下の人数がどれほどいようとも、権教や権宗の者が多く、この法門を信じる人はまだその名をも聞いてはいない。したがって死後の善所・悪所を問わず、邪法・正法もしばらくさしおいて、内典の五千・七千の多きも、外典の三千余巻の広きも、ただ主君の命にしたがい、父母の義に叶うことが肝心である。
それゆえ教主釈尊はインドで孝養報恩の理を説き、孔子は中国で忠功孝高の道を示したのである。
師の恩を報じる人は肉を裂き身を投げた。主の恩を知る人、たとえば弘演は腹を裂いた。予譲は剣を飲んだ。親の恩を思う人、たとえば丁蘭は木像を刻み、伯瑜は杖に打たれた。儒・外・内と道は異なるけれども、報恩謝徳の教えが変わることはない。
したがって、主師親のまだ信じていない法理を、自分がはじめて信じる事は、既に違背の罪に沈むことになるだろう。法門の道理は経文に明白であるから、疑いの網はすべてなくなった。後生を願わなければ、来世は苦に沈むだろあ。進退は極まってしまった。私はどうしたらよいのだろう。
聖人は言った。
あなたはこの法理を知りながらまだそのようなことをいうのか。道理が通じないのか、心が及ばないのか。
私は釈尊の遺法を学び、仏法に身を入れたとき以来、知恩をもって最高とし、報恩をもって第一としてきた。
世には四つの恩がある。
これを知ることを人倫と名づけ、知らない者を畜生という。私は父母の後生を助け、国家の恩徳を報じようと思うゆえに、身命を捨てる決意をした。あえて他のためではない。ただ知恩を大切にするからである。
まずあなた目を閉じ、心を静めて道理を思いなさい。自分は善道を知りながら、親と主が悪道に堕ちることを諌めないのか。また愚心が狂うほど酔って、毒を服用することを自分は知りながら、それを戒めないでおれようか。
そのように法門の道理を知り、火・血・刀の苦を知りながら、どうして恩を受けた人が悪道に堕ちることを歎かないのか。身を投げうって、命を捨てて諌めても十分ではない。どれほど歎いても限りはない。
今、世の中で眼にする苦しみさえなお悲しむ。まして永劫の冥途の悲しみをどうして痛まないでおれようか。恐れても恐るべきは後世であり、慎しみても慎しむべきは来世なのである。
それを、是非も論じないで親の命にしたがい、邪正を簡ばないで主の仰せに従うということは、愚癡の者には忠孝のように見えても、賢人の心には不忠不孝であり、これに過ぎるものはない。
したがって教主釈尊は、転輪聖王の末裔・師子頬王の孫・浄飯王の嫡子として、五天竺の大王となるといわれたが、生死無常の理を悟り、出離解脱の道を願って世を厭われたので、浄飯大王はこれを歎いて四方に四季の色を顕わして、太子の御心を引き留めようと考えられた。
まず東には霞たなびく絶え間から雁が北方に帰り、窓の梅の香が玉簾の中にかよい、堂々たる花の色と鴬のさえずりで春の景色をあらわした。
南には泉が色も白く絶えることなく湧き出て、清らかな川辺には卯の花が咲き、信太の森のほととぎすで夏の姿をあらわした。
西には紅葉が常葉にわり、さながら錦をおりなすように交わり、荻を吹く風はのどかで、松の嵐はすさまじい。過ぎ去った夏の名残には沢辺に見える螢の光を天空の星かと見誤り、松虫・鈴虫の声々が涙をさそった。
北には枯野の色がいつしか物憂く、池の汀にはつららが張り、谷の小川も音は寂しい。
このような有様を造って御心を慰められただけではなく、四門に五百人ずつの兵を置いて守護それたけれども、ついに太子は御年十九という年の二月八日の夜半のころ、車匿シヤノクを召して金泥駒コンデイゴマに鞍を置かせ、伽耶ガヤ城を出て檀特山に入り、十二年間高山に薪をとり、深谷に水を結んで、難行苦行をされた。三十歳で成道の妙果を感得して、三界の独尊・一代の教主と成って父母を救い、衆生を導かれた。
この方をさて不孝の人というべきだろうか。仏を不孝の人といったのは九十五種の外道である。父母の命に背いて無為に入り、かえって父母を導くのが孝の手本であることは、仏がその証拠である。
かの浄蔵・浄眼は父の妙荘厳王が外道の法に執着して、仏法に背かれていたが、二人の太子は父の命に背いて、雲雷音王仏の御弟子となり、ついに父を導いて沙羅樹王仏という仏になられたが、不孝の人というべきであろうか。経文には「棄恩入無為・真実報恩者(恩を捨てて無為に入るのが真実の報恩の者である)」とあり、今生の恩愛を全て捨てて、仏法の真実の道に入るならば、この人は本当に恩を知る人であると説かれている。
また主君の恩の深いことは、あなたよりもよく知っている。あなたにもし知恩の志があるならば、深く諌めて強く申し上げなさい。非道でも主命であるから従うべきであるとすることは、臣下としての不忠の極みである。
殷の紂王は悪王であったが、比干は忠臣であった。政治が道理に反しているのを見て強く諌めたので、即座に比干は胸を裂かれた。紂王は比干が死んだ後、周の王に滅ぼされた。今の世までも比干は忠臣といわれ紂王は悪王といわれる。夏の桀王を諌めた竜蓬は首を落とされた。しかし桀王は悪王といわれ、竜蓬は忠臣といわれる。主君を三度諌めても用いられないなら、山林に交われという教えがある。どうしてその非を見ながら黙ったままでいるのか。
古の賢人が世をのがれて山林に隠れた先例を集めて、すこしあなたの愚かな耳に聞かせよう。
殷の代の太公望はホ渓と云う谷に隠れ、周の代の伯夷・叔斉は首陽山という山に篭った。秦の綺里季は商洛山に入り、漢の厳光は孤亭に住み、晋の介子綏は緜上山に隠れた。これらを不忠といえるだろうか。愚かなことである。あなたは忠を知るのなら諌めるべきである。孝を思うならば言うべきである。
まずあなたの、権教・権宗の人は多いがこの法華宗の人は少ない。どうして多きを捨てて少なきにつくのか、と言うことであるが、必ず多きが尊くて少きが卑しいとは限らない。賢善の人は希であり、愚悪の者は多くいる。麒麟・鸞鳳は禽獣の中で珍しく秀れている。しかしこれらは非常に少ない。牛・羊・烏・鴿は畜鳥の中では卑しいものである。しかしこれらは非常に多い。必ず多数が尊くて少数が卑しいのであれば、麒麟をさしおいて牛や羊をとり、鸞鳳をさしおいて烏鴿をとるべきか。摩尼・金剛は金石の霊宝である。この宝は乏しく瓦礫・土石は無用の至りであるが、これらはまた非常に多い。あなたのいう通りなら、玉などを捨てて瓦礫をとるべきか。まことにはかないことである。
聖君は希であり千年に一度出現し、賢人は五百年に一度現れる。摩尼珠は空しく名のみを聞く。麟鳳は誰が実物を見たというのか。世間でも出世間でも、善い者は少なく悪い者は多い。眼前の事実である。したがってどうして一概に少数をおろかにして多数を尊いとするのか。土沙は多いけれども米穀は希である。木皮は豊富であるが、布絹はわずかである。あなたはただ正理をもって第一とするべきである。別して人数の多いことをもって手本としてはいけない。
このとき愚人は席を下がって袂を正して言った。
誠に聖教の道理を聞いてみると、人身は得難く、天上から垂れた糸を海底の針に通すよりも希であり、仏法は聞くことが難く、一眼の亀が浮木に遇うよりも難しい。今既に得難い人界に生を受け、値い難い仏教を見聞した。今生をむなしく過ごせばいったいいつの世に生死の苦を離れ、菩提を証得することができるだろう。一劫の間に多くの生を受け、その骨は山よりも高いけれども、仏法の為にはまだ一骨をも捨てていない。何度も生まれ来て、恩愛にひかれて流す涙は海よりも深いけれども、後世のためには一滴の涙も落していない。拙いにもほどがあり、愚かなの中の愚かである。たとえ命を捨てて身を破ろうとも生を軽くして仏道に入り、父母の菩提を助け愚身の地獄の苦しみを免れたい。詳しく教えをお示しください。
いったい法華経を信じるとは、その行ないはどうすればよいのか。五種の修行の中ではまずどの修行をするべきか。丁寧にあなたの教えを聞く事を願う。
聖人が示して言った。
あなたは蘭室の友に交って麻畝の性と成った。誠に、葉の落ちた樹は枯れ木ではなく春になれば栄えて花が咲き、枯草は枯れているのではなく夏に入って鮮やかにうるおうのである。もし先の非を悔いて正理に入るならば、静寂の淵に遊泳して無為の宮で優遊することは疑いであろう。
そもそも仏法を弘通し、衆生を利益するためには、まず教・機・時・国・教法流布の前後を知るべきである。理由は、時には正・像・末があり、法には大・小乗ずあり、修行には摂と折がある。摂受の時に折伏を行うことは誤りであり、折伏の時に摂受を行うことるも間違いである。それゆえ今の時代は摂受の時か折伏の時かをまず知るべきである。
摂受の行はこの国に法華経だけが一純に弘まって、邪法・邪師が一人もいないときである。この時は山林に交って観法を修し、五種・六種ないし十種等を行うのである。折伏の時はこのような時ではなく、経教の教義が乱れ興り、それぞれが深遠な法門を立てて名声をほしいままにし、邪と正が肩を並べ、大乗と小乗が先を争そう時は、万事をさしおいて謗法を責めるべきなのである。これが折伏の修行である。
この旨を知らずに、摂と折の方法を違えるならば、得道は思いもよらず、かえって悪道に堕ちる。このことは法華経・涅槃経に定められている。天台や妙楽の解釈にも明らかである。これは仏法修行の大事なことである。
たとえば、文武両道をもって天下を治めるには、武を先とすべき時もあり、文を旨とすべき時もある。天下が平和で国土が静かな時は、文を先とすべきである。東夷・南蛮・西戎・北狄が蜂起して野心をさしはさむ時には武を先とすべきである。文武の大切な事だけを心得て、時を知らず、すべての国が安堵の思いをなして、世間になにごともないとき、甲冑を着て武器を持つ事は誤りである。
また王の敵が現れた時、戦場で武具を持たず、筆や硯を持つこともまた時に相応しない。摂受・折伏の法門もまたこの通りである。正法だけが弘まって、邪法・邪師がいない時は、深谷にも入り、閑静な場所に住んで、読誦・書写をし、観念・観法に励んでもよい。これは天下の静かな時、筆と硯を用いるようなものである。権宗・謗法が国にある時は諸事をさしおいて謗法を責めるべきである。これは合戦の場に武器を用いるようなことである。
したがって、章安大師は涅槃の疏に解説している。
「昔は時代が平和であり法が弘まった。そのようなときには戒を持つべきである。武器を持ってはならない。今は時代が険悪で正法が隠れている。まさに杖を持つべきである。戒律を持ってはならない。今も昔もとも険悪ならば、ともに武器を持つべきである。今も昔もどちらも平和であれば、まさにともに戒を持つべきである。そのときにかなった取捨すべきであり、一つに固定してはならない」と。
この釈の意味は明らかである。昔は世も素直で、人も正しく、邪法・邪義が無かった。したがって、威儀を正し、穏便に修行を積んで武器で人を責めず、邪法をとがめることも無かったのである。
今の世は濁世である。人の情もひがみゆがんで、権教・謗法ばかりが多いので正法が弘まりにくい。この時は読誦や書写の修行も、観念や工夫・修練も無用となる。ただ折伏を行じて、力があれば威勢で謗法をくだき、また法門をによって邪義を責めよといわれている。取捨はその旨を心得て一方に執着してはならないと書かれている。
今の世を見て、正法の一純に弘まっている国か、邪法の興盛する国かを考えなければならない。
ところが、浄土宗の法然は念仏に対して法華経を捨閉閣抛とよみ、善導は法華経を雑行と名づけ、そのうえ千中無一といって千人が信じても一人も得道する者はいないと書いている。
真言宗の弘法は法華経を、華厳経にも劣り大日経には三重の劣である、と書き、戯論ケロンの法と決めつけた。正覚房は、法華経は大日経の履物取りにも及ばないといい、釈尊は大日如来の牛飼いにも足りない、と批判した。
禅宗は法華経を吐いたつば、月をさす指、教えの網などとさげすんでいる。小乗律等は法華経は邪教・天魔の所説と名づけている。これらがどうして謗法でないのか。責めてもなおあまりあり、禁めてもまたたりない。
愚人は言った。
日本の六十余州、人が変わり法は異なるといえども、念仏者であったり、真言師であったり、禅であったり、律であったりして、誠に一人として謗法ではない人はいない。しかし他人のことをあれこれ非難してもしかたない。ただ我が心中に深く信受して、人の誤りには関わらないことにしようと思う。
聖人は諭して言った。
あなたの言うことは実にもっともである。私もそう思っている。しかし経文には、「不惜身命」とも「寧喪身命」とも説かれている。何故このように説かているかというと、ただ人をはばからず、経文のままに法理を弘通すれば、謗法の者が多い世には必ず三類の敵人があらわれ、命に及ぶであろうとある。その仏法の誤りを見ながら、自らも責めず国主にも訴えないならば、教えに背いて仏弟子ではないと説かれているのである。
涅槃経第三にこうある。
「もし善比丘がいて、法を壊る者を見て、放置いて呵責も追放も処断もしなければ、まさに知るべきである。この人は仏法の中の怨である。もしよく追放し呵責し処断するならば、この人は我が弟子であり、真の声聞である」
この文の意味は、仏の正法を弘める者は、経教の義を悪く説く者を聞いたり見たりしながら、自分も責めず、我が力が及ばなければ国主に申し上げてでもこれを対治しないなら、仏法の中の敵である。若し経文のように人をも恐れず、自分も責め、国主にも訴える人は仏弟子であり、真の僧であると説かれておられるのである。
したがって、仏法中の怨敵の罪を免れようとして、このように多くの人に憎まれても、命を釈尊と法華経に奉り、慈悲を一切衆生に与えて、謗法を責めるのであるが、このことを心得ない人は口をすくめ眼をいからせる。あなたも実に後世を恐れるのであれば、身を軽んじ法を重んじなさい。
このことを章安大師はいっている。
「むしろ身命を失うとも、教えをかくさざれとは、身は軽く法は重い。身をころしても法を弘めよ」
この文の意味は、身命を滅ぼしても正法を滅ぼしてはならない。その理由は、身は軽く法は重い。身をころしても法を弘めよということである。
悲しいことに、生命のある者には必ず滅ぶときがくるのが世の習いであるから、たとえ長寿を得たとしても、終には無常を免れることはできない。今世はせいぜい百年前後程度と思えば、夢の中の夢のようなものである。非想天の八万歳でさえいまだ無常を免れていない。トウ利天の一千年さえもなお退没の風に破られる。まして人間と生まれ、この世の習いは露よりもはかなく、芭蕉よりももろく、泡沫よりもむなしい。水中に宿る月のあるかなしかのようであり、草葉につく露の消えるのが後か先かの身である。
もしこの道理を得たならば、後世を一大事としなさい。歓喜仏の末の世の覚徳比丘が正法を弘めたとき、無数の破戒の人々がこの行者を憎んで責めたので、有徳国王は正法を守るゆえに謗法を責めて、終に命を終えて阿シュク仏の国に生まれて、かの仏の第一の弟子となった。大乗を重んじて五百人の婆羅門の謗法を誡めた仙予国王は不退の位に登った。
頼もしいことに、正法の僧を重んじて邪悪の教えを説く者を誡める人にはこのような功徳がある。したがって、今の世に摂受を行じる人は謗法の人とともに悪道に堕ちる事は疑い無い。
南岳大師の四安楽行にこうある。
「もし菩薩がいて、悪人を擁護して、治罰しようとしない。(中略)その人は命を終えて諸悪人とともに地獄に堕ちるだろう」
この文の意味は、もし仏法を修行する人がいて、謗法の悪人を治罰せずに、観念や思惟をもっぱらにして、邪正・権実をも選ばず、詐って慈悲の姿を現わす人は、諸の悪人とともに悪道に堕ちるだろうという文である。
今、真言・念仏・禅・律・の謗法の人をたださず、偽って慈悲を現わす人はこの文のようになるのである。
ここで愚人は心を定め、決意の言葉をあらわした。
誠に主君を諌めて、家を正しくする事は先賢の教えであり、本文に明白である。外典でさえこの通りである。内典がこれに違うはずがない。悪を見て戒めず、謗法を知って責めなければ、経文に背き祖師に相反する。その禁めはことに重い。今より信心に励みます。たたしこの経を修行することは難事である。もしその肝要があれば証拠を聞こうと思う。
聖人は示して言った。
今あなたの求道の心を見ると、礼儀正しいので手厚く遇しよう。
いわゆる諸仏の真実の覚りを得るための修行の肝要は、ただこの妙法蓮華経の五字である。須頭檀王が王位を退き、竜女が蛇身を改めたのも、ただこの五字の力用による。
思えばこの法華経は、受持の多少は一偈一句であると宣べ、修行の時刻は一念随喜と定めている。およそ八万法蔵の広い教えも、一部八巻の多くの経文も、只是ただこの五字を説くためである。霊鷲山の雲の上で、鷲峯の霞の中で、釈尊が肝要を結んで地涌の菩薩に付属をしたことがあったのも、その法体は何かといえば、ただこの要法にあるのである。天台や妙楽の六千張の玉を連ねたような注疏も、道邃や行満の数軸の金を並べたような解説も、すべてこの義趣を出ることはない。
真に生死を恐れて涅槃を求め、信心に励み渇仰するならば、変転して止まない無常は昨日の夢と消え、菩提の覚悟は今日の現実となるだろう。ただ南無妙法蓮華経とだけ唱えたならば、滅せぬ罪はなく、福が来ないはずがない。真実であり、甚深であるこれを信受するのである。
愚人は手を合わせ膝を折って言った。
あなたの命は肝に染み、教訓は心を動かす。しかし上は下を兼ねるという道理があるので、広きは狭きを収め、多きは少なきを兼ねる。ところが五字は少なく、経の文言は多い。題目は狭く八軸は広い。どうして功徳が等しいことがあるだろう。
聖人は言った。
あなたは愚かである。捨少取多の執着は須弥山よりも高く、軽狭重広の執情は溟海よりも深い。
今の文のの前後はけっして多ければ尊く少ければ卑しいという事ではない。前に示した通りである。ここでまた小が大を兼ね、一が多に勝るという事を語ろう。
かの尼拘類樹ニクルジユの実は芥子の三分の一である。しかし五百輛の車を隠す徳がある。これは小が大を含めるということではないか。また如意宝珠は一つあっても万宝を降らして、少しも欠けるところはない。これもまた少が多を兼ねている例ではないか。世間のことわざにも一は万が母という。これらの道理を知らないのか。所詮は実相の理が背いているか契っているかを論じるべきである。あながちに多い少ないに執着してはならない。
あなたがいたって愚かである。今一つの譬えを示す。
そもそも妙法蓮華経とは一切衆生の仏性である。仏性とは法性である。法性とは菩提である。いわゆる釈迦・多宝・十方の諸仏・上行・無辺行等・普賢・文殊・舎利弗・目連等、大梵天王・釈提桓因・日月・明星・北斗・七星・二十八宿・無量の諸星・天衆・地類・竜神・八部・人天・大会・閻魔大王、上は非想天の雲の上から下は那落の炎の底までのあらゆる一切衆生の備えている仏性を妙法蓮華経と名づけるのである。
それゆえ一遍この題目を唱え奉れば、一切衆生の仏性が皆呼ばれてここに集まる時、我が身の法性の法・報・応の三身もともにひかれて顕れ出る。これを成仏という。例えば篭の中にいる鳥が鳴く時、空を飛ぶ多くの鳥が同時に集まる。これを見て篭の中の鳥も出ようとするようなものである。
ここで愚人が言った。
題目の功徳・妙法の趣旨は今聞いて理解した。しかしこの趣旨は正しく経文にのっているのか。
聖人は言った。
道理が明らかになったのであるから、経文を尋ぬる必要はない。しかし要請にしたがってこれを示す。
法華経第八・陀羅尼品にこうある。
「あなたたちがただよく法華の名を受持する者を擁護するのでさえ福は量りしれない」
この文の意味は、仏が鬼子母神・十羅刹女が法華経の行者を守ろうという誓いを讃えて、あなたたちは法華の題目を持つ人を守ろうと誓った。その功徳は三世了達の仏の智慧でさえ及ばないと説かれたのである。仏智の及ばぬことがあるはずはないが、法華経の題目を受持する功徳ばかりは計り知れないと宣べられたのである。
法華経一部の功徳はただ妙法等の五字の内に含まれている。一部八巻の文はそれぞれ二十八品の内容とともに変わってもも首題の五字は同等である。たとえば、日本の二字の中に六十余州・島二つがある。入らない国はない。含まぬ郡があるはずがない。
飛鳥といえば空をかける者と知り、走獣といえば地を走る者と心得る。一切の名が大切である事は概してこのとおりである。
天台大師が「名詮自性・句詮差別(名は本性をあらわし、句は差別をあらわす)」とも、「名者大綱(名は大綱である)」とも判じたのはこの意味である。また名は物を呼び寄せる功徳があり、物は名に応ずる働きがある。法華経の題目の功徳もまた同じである。
愚人は言った。
聖人の言葉の通りであれば、実に題目の功徳は莫大である。しかし知ると知らないの差がある。私は弓箭に携わり、武器を旨とするので、まだ仏法の真味を知らない。もしそうなら功徳を得ることはどうして深いといえるのか。
聖人は言った。
円頓の教理は初後は全く不二であり、初位に後位の功徳が含まれる。一行に一切の行が含まれていて、功徳が備わらないものはない。もしあなたがいうように、功徳を知ってからでないと植えないのであれば、上は等覚から下は名字の凡夫に至るまで、得益は絶対にないことになる。今の経は「唯仏与仏」と説かれているからである。
譬喩品にこうある。
「あなた舎利弗でさえこの経によって信をもって入ることを得た。まして他の声聞はなおさらである」
文の心は大智慧の舎利弗も法華経には信をもって入った。その智慧の力ではない。まして他の声聞はいうまでもないということである。
それゆえ法華経に来ても信じたからこそ永不成仏の名を削って華光如来となったのである。幼児に乳を含ませれば、その味を知らなくとも自然にその身を生長させる。医師が病人に薬を与えるとき、病人は薬の原料を知らないけれども服用すれば自然に病は治る。もし薬の源を知らないからと、医師の与える薬を服用しなければその病は治らない。薬を知ろうが知らなかろうが服用すれば病が治ることと同じである。
既に(法華経は)仏を良医と呼び、法を良薬にたとえ、衆生を病人にたとえている。如来一代の教法をつきふるい混ぜ合わせて妙法という一粒の良薬に丸めたのである。どうして知ろうと知らなくとも服用する者の煩悩の病が治らないことがあろう。病人は薬の原料を知らないけれども服用すれば必ず病は治るのである。行者もまち同様である。法理も知らず煩悩も知らないといえども、ただ信じれば見思・塵沙・無明の三惑の病を同時に断じて、実報・寂光の浄土にのぼり、本有の三身如来の生命を磨く事は疑いない。
それゆえ伝教大師は述べている。
「能化も所化もともに長い間の修行が無くても、妙法経の力でたちまち身は成仏する」と。
法華経の法理を教える師匠も、また習う弟子も直ちに法華経の力をもってともに仏になるのであるという文である。
天台大師も法華経について、法華玄義・法華文句・摩訶止観の三十巻の釈を著されている。妙楽大師もまた法華玄義釈籤・法華文句記・止観輔行弘決の三十巻の注釈を重ねて著された。天台六十巻というのがこれである。
法華玄義には、名体宗用教の五重玄を立てて、妙法蓮華経の五字の功能を判釈された。五重玄を釈する中の宗の釈で「大綱を引けば目として動かないものはなく、衣の一角を引けば糸として来ないものはない」と述べている。意味は、この妙法蓮華経を信仰するという一つの行いに功徳として集まらないものはなく、善根として動かないものはない。たとえば、網の目が無数であっても、一つの大綱を引けば動かない目はなく、衣の糸筋が多くあっても、一角を取れば糸筋としてたぎられないものはないという義である。
さて法華文句には如是我聞から作礼而去までの文々句々に、因縁・約教・本迹・観心の四種の釈を設けている。
次に摩訶止観には妙解の上に立てる観不思議境の一念三千を説いている。これは本覚の立行・本具の理心である。今ここではくわしく述べない。
まことに悦ばしいことである。生を五濁悪世に受けたとはいえ、一乗の真文を見聞する事を得た。過去に無量の善根を積んだ者こそ、この経にあって信心したと思われる。あなたは今一念随喜の信をおこした。函と蓋があうように、感応道交は疑いない。
愚人は頭をたれ、手を合わせて言った。
私は今よりは一実の経王を受持し、三界の独尊を本師として、今の身から仏身に至るまで、この信心を続け必ず退転いたしません。
たとえ五逆の雲が厚くても、提婆達多の成仏を継ぎ、十悪の波が荒くても、願わくは十六王子の覆講の結縁した衆生のようにしたいと思う。
聖人は言った。人の心は水の器の形に従うように、物の性質は月の波に動くことに似ている。ゆえにあなたは今は信じるといえども、後日は必ず翻えす。魔が来ても鬼が来ても心を乱してはいけない。そもそも天魔は仏法を憎む。外道は内道を嫌う。したがって猪が金山をこすれば光を増し、衆流が大海に入ればそれを包む。そのように薪が火を盛んし、風が求羅をますます成長させるように、強盛に信心することはまことに望ましいことではないか。