同志と共に

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一代五時継図いちだいごじけいず

大論に云く百巻・竜樹菩薩の造・如来滅後七百年出世の人なり十九出家・三十成道・八十涅槃 涅槃経に云く八十入滅 阿含経亦此の説有り云云、 兼 説処は中天竺・寂滅道場菩提樹下 権大乗 別教 六十巻 旧訳・仏陀跋多羅三蔵の訳 三七日 八十巻 新訳・実叉難陀三蔵の訳 華厳経 円教 四十巻 乳味 結経は梵網経 他受用報身如来 旧訳の説 教主 毘盧遮那如来 新訳の説 所居の土は仮立・実報土又は蓮華蔵世界と云う 愚法・二乗教 一に小乗教 一切の小乗経を摂す 空 二に大乗始教 方等部の経を摂す 華厳宗五教を立つ 不空 三に大乗終教 般若涅槃経を摂す 三乗の中の絶言の理を説く 四に頓教 一切経中の頓悟成仏の旨を摂す 別教一乗 五に円教 華厳・法華を摂す 馬鳴菩薩 起信論を造る 天竺 竜樹菩薩 十住毘婆沙論を造る 天親菩薩 十地論を造る 杜順和尚 終南山の住・文殊の化身云云 智儼法師 至相寺の住 唐土 法蔵大師 京兆・凉山大華寺の住又賢首大師と云い又康蔵大師と云う 祖師 澄観法師 清涼山大華寺の住又清涼国師と云う 審祥大和尚 大安寺の住新羅国の人日本最初伝 慈訓小僧都 明哲律師 日本 良弁僧正 東大寺の本願 等定大僧都 道雄僧都 海印寺の住 一向小乗 波羅奈国・鹿野薗 一に増一阿含 人天の因果を明す 十二年説 二に中阿含 真寂の深義を明す 阿含経 酪味 四阿含経 三に雑阿含 諸の禅定を明す 但三蔵教 四に長阿含 諸の外道を破す 結経は遺教経 有部顕宗六百頌 天竺の人なり 倶舎宗 倶舎論三十巻・三乗法を明かす 世親菩薩の造・如来滅後九百年の人なり 新訳 経部密宗十万頌・天親菩薩の造・天竺には婆薮畔豆と云うなり 旧訳 玄弉三蔵 光法師 宝法師 唐土 神泰 円暉 恵暉 祖師 道麟 善報 日本 伝灯満位の勝貴延暦廿五年法相宗に付す・私に云く余抄に云う延暦十三年官付云云 訶梨跋摩三蔵・天竺の人此に師子鎧と云う 成実宗 成実論十六巻二十七賢聖の位を明す二百二品 如来滅後九百年 羅什三蔵 唐土 僧叡 祖師 智蔵・開善寺の僧 日本 伝灯満位の賢融延暦二十五年三論宗東大寺僧に付す余抄に云く延暦十三年云云 律宗 如来成道五年の後律を説く・僧祇律之を説く、或は十二年の後・須提によつて戒律を制す四分律之を説く 一 曇無徳部 二 薩婆多部 五部を明かす 三 弥沙塞部 四 婆麁富羅部 五 迦葉遺部 五篇七聚を立つ 一には波羅夷 二には僧残 一には波羅夷篇 三には偸蘭遮 二には僧伽婆尸沙篇 四には波逸提 三には波逸提篇 五には波羅提提舎尼 四には波羅提提舎尼篇 六には突吉羅 五には突吉羅篇 七には悪説 〓多三蔵 天竺 仏滅後三百年 祖師 道宣律師 唐土 弟子鑒真和尚 日本 鑒真和尚は唐土の人なり、東大寺戒壇院を立てし人なり。 蔵通別円 十六年説時不定 対 方等部 権大乗 生蘇味 結経は瓔珞経 解深密経 又有相宗と云う 瑜伽論百巻・弥勒説・無著筆 法相宗 唯識論 惣じては一切経に依り別しては六経・十一部に依る 有初 又有相教とも云う 三時教を立つ 空昔 又無相教とも云う 中今 又中道教とも云う 弥勒菩薩 如来滅後九百年に出づ 無著菩薩 天竺 世親菩薩 護法菩薩 戒賢論師 摩訶陀国の大那爛陀寺の人 祖師 〓法師 尚法師 玄弉三蔵 弟子四人 光法師 唐土 慈恩大師 基法師 智周法師 智鳳 義淵 空晴 日本 真喜 善議 勤操 観経一巻 〓良耶舎の訳 宋の代 雙観経二巻 康僧鎧の訳 魏の代 浄土宗 阿弥陀経一巻 鳩摩羅什の訳 後秦代 浄土論一巻 天親菩薩の造 菩提流支三蔵の訳・天竺の人なり 天竺 菩提流支三蔵 曇鸞法師 難行・易行を立てて一切の経論を摂するなり 道綽禅師 聖道浄土の二門を立てて一切の経論を摂するなり 祖師 唐土 善導和尚 正雑の二行を立てて一切の経論を摂するなり 懐感禅師 群疑論を造つて一代の聖教を判ずるなり 小康法師 已上、五人唐土の人なり 日本 法然上人 選択集一巻 捨閉閣抛入開入皈 禅宗 如来禅 楞伽経・金剛般若経等に依る、又は教禅とも云う 祖師禅 教外別伝不立文字云云 西天の二十八祖 別紙に之有り 菩提達磨禅師 天竺の人なり 祖師 恵可禅師 僧〓 東土六祖 道信 弘忍 恵能 真言宗 胎蔵界 七百余尊 金剛界 五百余尊 大日経六巻 卅一品善無畏三蔵の訳開元四年 中天竺の人なり 供養法の巻を加えて七巻なり、一巻五品 金剛頂経三巻一品金剛智三蔵の訳開元八年 南天竺の人なり 蘇悉地経三巻 卅四品善無畏三蔵の訳 菩提心論一巻七丁竜猛菩薩の造・不空の訳・或は不空の造 大日如来 金剛薩〓 天竺 竜猛菩薩 竜智 已上天竺の人なり 善無畏三蔵 金剛智 唐土 不空 祖師 恵果 弘法 又空海と云う 真雅 源仁 聖宝 淳祐 日本 元杲 仁海 成尊 義範 範俊 一に爼多覧蔵乳味経蔵阿難の結集 二に毘那耶蔵酪味律蔵優婆利 五蔵 三に阿毘達磨蔵生蘇味論蔵迦旃延 四に般若波羅蜜多蔵熟蘇味文殊華厳・方等・般若・法華・涅槃等を摂するなり 五に陀羅尼蔵醍醐味金剛蔵大日経・金剛頂経・蘇悉地経を摂す 弘法大師義立 一異生羝羊住心凡夫悪人 二愚童持斎住心凡夫善人 十住心 三嬰童無畏住心外道 四唯蘊無我住心声聞 五抜業因種住心縁覚 理趣般若経一巻 惣じて八部の般若有り 六他縁大乗住心法相宗 大品般若四十巻 羅什三蔵の訳旧訳 七覚心不生住心三論宗 大般若経六百巻 玄弉三蔵の訳新訳 八如実一道住心法華宗 般若部 通別円 九極無自性住心華厳宗 帯 十秘密荘厳住心真言宗 権大乗 十四年の説或は三十年の説 熟蘇味 結経は仁王経 百論二巻 提婆菩薩の造 三論宗 中論四巻 竜樹菩薩の造 十二門論一巻 竜樹菩薩の造 大論を加えて四論宗とも云う。 二蔵 一に声聞蔵 一に根本法輪 二に菩薩蔵 三転法輪 二に枝末法輪 文殊 三に摂末帰本法輪 馬鳴 竜樹 天竺 提婆 竜智 清弁 智光 祖師 羅什 唐土 道朗 法朗 吉蔵 亦嘉祥大師と云う嘉祥寺の僧なり 観勒僧正 百済国の人なり 恵潅 高麗国の人なり 日本 善議 勤操 妙法蓮華経 羅什三蔵の訳 正法華経 法護三蔵の訳 添品法華経 闍那笈多の訳 薩吽分陀梨法華 新訳 八箇年の説 実大乗 法華経 醍醐味 純円の説 結経は普賢経 曇無蜜多の訳 宋代 法華宗 仏立宗 四教五時を立てて一代教を摂す 天台宗 依憑宗 華厳 寅時 阿含 卯時 一に三蔵教 諸部小乗の実有の所説を摂す 方等 辰時 般若 巳時 法華 午時 二に通教 諸部の如幻即空の旨を摂す 三に別教 諸部の大乗並びに歴劫行の所説を摂す 四に円教 諸部の大乗経の速疾頓成の所説を摂す 大覚世尊 天竺 竜樹菩薩 祖師 天台大師 唐土 章安大師 妙楽大師 日本 伝教大師 一日一夜の説 涅槃経 醍醐味 結経は像法決疑経 一北地師 涅槃宗の祖師 二菩提流支師 一虎丘の岌法師 三光統法師 南三 二愛法師 北七 四護身の法師 三法雲法師 光宅寺の僧なり 五耆闍の法師 六北地の禅師 七北地の禅師 法華の外は小乗の事 寿量品に云く小法を楽う徳薄垢重の者是の人の為に我少きより出家して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く云云。 文句九に云く始成を説きたもうことは皆小法を楽える者と為すのみ云云。 疏記に云く但し近成を楽う者・楽小の者と為すは華厳の頓部・諸味の中の円なり文。 天親菩薩の法華論に云く一往三蔵を名けて小乗と為し再往は三教を名けて小乗と為す文。 文句の九に云く小を楽う者は小乗の人に非ざるなり、乃ち是近説を楽う者を小と為すのみ文。 疏記の九に云く楽小法とは久近を以て相望して小と為す文。 秀句の下に云く仏滅度の後の六・七百年の経宗論宗九百年の中の法相の一宗は歴劫修行を説いて衆生を引摂す是の故に未顕真実なり云云。 伝教大師の依憑集に云く新来の真言家は則ち筆受の相承を泯し旧到の華厳家は則ち影響の規模を隠し〓空の三論宗は弾呵の屈耻を忘れて称心の心酔を覆し、著有の法相宗は僕陽の帰依を非して青竜の判経を撥す云云。 秀句の下に云く誠に願くは一乗の君子仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ、仰いで誠文を信じて偽会を信ずること莫れ、天台所釈の法華宗は諸宗に勝る寧ろ所伝を空うせんや、又云く謹みて無量義経を案ずるに云く次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて菩薩の歴劫修行を宣説す経文已上大唐の伝に云く方等十二部経とは法相宗の所依の経なり、摩訶般若とは三論宗の所依の経なり、華厳海空とは華厳宗の所依の経なり倶に歴劫修行を説いて未だ大直道を知らず文。 妙楽大師の弘決の九に云く法華以前は猶是れ外道の弟子なり文。 伝教大師の守護章の上に云く妙法の外更に一句の経無し文。 智証大師授決集の上に云く経に大小無く理に偏円無からん一切人に依らば仏説無用ならん、若し然らずんば文に拠て伝う可し己が父は国王に勝ると執すること莫れ、又他に劣ると謂うこと莫れ、然も家家の尊勝・国国の高貴大小各分斉有り、土を以て金と為せば家家に之有り金を以て金と為せば有無処を異にす、久成の本・開権の妙・法華独り妙に独り勝る、強いて抑えて之を喪し仏説を哽塞す如来を咎む合し伝者を非すること莫れ、又云く国国とは五味、家家とは四教八教なり文。 天台の玄義の十に云く若し余経を弘むるには教相を明さざれども義に於て傷むこと無し、法華を弘むるには教相を明さざれば文義闕くること有り、但聖意幽隠にして教法弥弥難し前代の諸師或は名匠に祖承し或は思い袖衿より出ず阡陌縦横なりと雖も孰れか是なることを知ること莫し、然るに義雙び立たず理両つながら存する無し、若し深く所以有りて復修多羅と合する者は録して之を用ゆ文無く義無きは信受す可からずと。 一、開会の事 寿量品に云く諸の経方に依つて好き薬草の色香美味皆悉く具足するを求めて擣〓和合す文。 文句の九に云く経方とは即ち十二部経なり薬草は即ち教の所詮の八万の法門なり、香美味とは戒定慧なり、空観は擣くが如く仮観は〓うが如く中観は合するが如し文。 大経に云く衆流海に入りて同一鹹味故に海味と云う文。 玄の三に云く諸水海に入れば同一鹹味なり、諸智・如実智に入れば本の名字を失すと文。 一、是諸経之王と云う事 信解品に云く並びに親族・国王・大臣を会す。 文句の六に云く国王とは一切漸頓の諸経なり。 疏記の六に云く諸の小王を廃して唯一の王を立つ是の故に法華を王中の王と名く文。 一、法華已前の説を権と云う事 玄義の三に云く涅槃の聖行品に云く追つて衆経を分別す故に具に四種の四諦を説くなり、徳王品に追つて衆経を泯す文。 釈籤の三に云く涅槃に追と言うは退なり却つて更に前の諸味を分別す、泯とは合会なり法華より已前の諸経皆泯す此の意は則ち法華の部に順ずるなり文。 弘の三に云く彼の経の四教皆常住を知る故に本意は円に在りと文。 玄義の四に云く法華の意を得る者は涅槃に於て次第の五行を用いざるなり文。 一、常好坐禅と云う事 安楽行品に云く亦師と同ずることを楽わず常に坐禅を好む文。 普賢経に云く専ら大乗を誦し三昧に入らず文、又云く其の大乗経典を読誦するもの有らば諸悪永く滅して仏恵より生ずるなり文。 一、天台宗阿弥陀の事 弘決の二に云く諸教の讃する所多く弥陀に在り故に西方を以て一准と為す文、私に云く此の釈・文殊説・文殊問の両経に依るなり、常坐三昧の下。 止観の二に云く弥陀を唱うるは即ち是れ十方の仏を唱うる功徳と等し但専ら弥陀を以て法門の主と為す、要を挙げて之を言わば歩歩・声声・念念唯阿弥陀仏に在り文、私に云く此の釈般舟三昧経に依るなり常行三昧の下・口説〓の下。 又云く意に止観を論ぜば西方阿弥陀仏を念ず此れを去ること十万億仏刹と文、此の釈般舟三昧経の文に依るなり常行三昧の下。 又云く陀羅尼咒を誦し三宝十仏を請じ摩訶祖持陀羅尼を思惟せよ文、此の釈は方等陀羅尼経に依る半行半坐の三昧の下。 又云く三宝・七仏・釈尊・弥陀・三陀羅尼・二菩薩・聖衆を礼せよ、此の釈は諸経に依る非行非坐三昧の下。 玄義の九に云く諸行は傍の実相を以て躰と為し体行倶に麁なり文、又云く諸経の方法に依る常行等の行は傍を以て体と為す体行倶に麁なり文。 已上四十余年の経釈 止観の二に云く別に一巻有り法華三昧と名く是れ天台大師の著す所なり、世に流伝して行者之を宗ぶ、此れ則ち説〓を兼ぬ復別に論ぜざるなり文。 法華三昧に云く道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦未だ必ず形像・舎利並に余の経典を安ずることを須いず唯法華経を置け文。 止観の二に云く意の止観とは普賢観に云く専ら大乗を誦して三昧に入らず日夜六時に六根の罪を懺す、安楽行品に云く諸法に於て行ずる所無く亦不分別を行ぜざれ文。 法華経に云く乃至余経の一偈をも受けざれ文。 又云く復舎利を安ずることを須いず文。 一、天台念仏の事 止観の六に云く見思の惑即ち是れ仏法界なりと覚して法身を破せざるを念仏と名くと文。 止観二に云く意止観とは普賢観に云く専ら大乗を誦し三昧に入らず日夜六時に六根の罪を懺す安楽行品に云く諸法に於て行ずる所無く亦不分別を行ぜざれ。 秀句の下に云く能化の竜女・歴劫の行無し所化の衆生も亦歴劫無し文。 一、法華成仏の人数の事 二の巻舎利弗は華光如来・三の巻迦葉は光明如来・須菩提は名相如来・迦旃延は閻浮那提金光如来・目連は多摩羅跋旃檀香如来・四の巻富楼那は法明如来・陳如等の千二百は普明如来・阿難は山海慧自在通王仏・羅〓羅は蹈七宝華如来・五の巻提婆達多は天王如来・摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏・耶輸陀羅女は具足千万光相如来・娑竭羅竜王の女の八歳の竜女は無照光如来正法華経の説なり提婆品に云く当時の衆会皆竜女を見る忽然の間に変じて男子と成て菩薩の行を具して即ち南方無垢世界に往き宝蓮華に坐して等正覚を成じ三十二相・八十種好普ねく十方一切衆生の為に妙法を演説す文。 又云く爾の時に娑婆世界の菩薩・声聞・天竜・八部・人と非人と皆遥かに彼の竜女の成仏して普ねく時の会の人天の為に法を説くを見て心大いに歓喜して遥かに敬礼す文。 一、四十余年の諸の経論に女人を嫌う事 華厳経に云く女人は地獄の使なり能く仏の種子を断つ外面は菩薩に似て内心は夜叉の如しと文。 又云く一び女人を見れば能く眼の功徳を失う縦い大蛇を見ると雖も女人を見る可からずと文。 銀色女経に云く三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも法界の諸の女人は永く成仏の期無らんと文。 華厳経に云く女人を見れば眼大地に堕落す何に況や犯すこと一度せば三悪道に堕つ文。 十二仏名経に云く仮使法界に遍する大悲の諸菩薩も彼の女人の極業の障を降伏すること能わず文。 大論に云く女人を見ること一度なるすら永く輪廻の業を結ぶ、何に況や犯すこと一度せば定んで無間獄に堕すと文。 往生礼讃に云く女人と及び根欠と二乗種とは生ぜず文。 大論に云く女人は悪の根本なり一たび犯せば五百生彼の所生の処・六趣の中に輪廻すと文。 華厳経に云く女人は大魔王能く一切の人を食す現在には纒縛と作り後生は怨敵と為る文。 一、真言を用いざる事 伝教大師の依憑集の序に云く新来の真言家は則ち筆受の相承を泯す文。 安然の教時義の第二に云く問う天台宗の遣唐の決義に云く此の大盧遮那経は天台五時の中に於て第三時方等部の摂なり彼の経の中に四乗を説くを以ての故に云云、此の義云何ん答う彼の決義に云く伝え聞く疏二十巻有り但未だ披見せず云云、此は是れ未だ経意を知らざる誤判なり、何なれば天台第三時の方等教は四教相対して大を以て小を斥い円を以て偏を弾ず、今大日経は応供正遍知衆生の楽に随つて四乗の法及び八部法を説きたもう是は一切智智一味云云、若し爾らば法華と同じと謂う可し何に方等弾斥の教に摂するや文。 広修維〓の唐決に云く問う大毘盧遮那一部七巻・薄伽梵・如来加持広大金剛法界宮に住して一切の持金剛者の為に之を演説す、大唐の中天竺国の三蔵・輸婆迦羅・唐には言う善無畏と訳す、今疑う如来の所説始め華厳より終り涅槃に至るまで五時四教の為に統摂せざる所無し、今此の毘盧遮那経を以て何の部何の時何の教にか之を摂せん又法華の前説とや為さん当に法華の後説とや為さん此の義云何、答う謹みて経文を尋ぬるに方等部に属す声聞縁覚に被らしむるが故に不空羂索・大宝積・大集・大方等・金光明・維摩・楞伽・思益等の経と同味なり、四教・四仏・四土を具す 今毘盧遮那経法界宮に於て説くことを顕す、乃ち是れ法身寂光土なり勝に従つて名を受くるなり前後詳明す可し云云。 一、法華と諸経との勝劣の事 本門第一 已今当第一なり、薬王今汝に告ぐ諸経の中に於て最も其の上に在り又云く我が所説の諸経此の経の中に於て法華最第一なり云云 法華経第一 迹門第二 涅槃経第二 是経出世 無量義経第三 次に方等十二部経を説く 華厳経第四 般若経第五 蘇悉地経第六 第一に云く三部の中に於て此の経を王と為す、中巻に云く猶成就せざれば或は復大般若経を転読すること七遍或は一百遍せよ 大日経第七 三国に未だ弘通せざる法門なり 一、鎮護国家の三部の事 法華経 不空三蔵大暦に法華寺に之を置く 密厳経 唐の大暦二年に護摩寺を改めて法華寺を立て中央に法華経 仁王経 脇士に両部の大日なり 法華経 人王三十四代推古天王の御宇聖徳太子 浄名経 四天王寺に之を置く摂津国難波郡 勝鬘経 仏法最初の寺なり 法華経 人王五十代桓武天皇の御宇伝教大師 金光明経 比叡山延暦寺止観院に之を置かる 仁王経 年分得度者二人 一人は遮那業 一人は止観業 大日経 五十四代仁明天王の御宇 金剛頂経 慈覚大師・比叡山東塔の西惣持院に之を置かる 蘇悉地経 御本尊は大日如来・金蘇二疏十四巻之を安置せらる 一、悲華経の五百の大願等の事並びに示現等 第一百十三願に云く我来世穢悪土の中に於て当に作仏することを得べし則ち十方浄土の擯出の衆生を集めて我当に之を度すべしと文。 第一百十四願に云く我無始より来かた積集せる諸の大善根一分我が身に留めず悉く衆生に施さんと文。 第一百十五願に云く十法界の諸の衆生無始より来かた造作する所の極重五無間等の諸罪合して我が一人の罪と為す大地獄等に入つて大悲代つて苦を受けんと文。 悲華経に云く我が滅度の後末法の中に於て大明神と現じて広く衆生を度せんと文。 涅槃経の二に云く爾の時に如来・棺の中より手を出して阿難を招き密かに言く汝悲泣すること勿れ我還つて復閻浮に生じて大明神と現じて広く衆生を度せんと文。 又云く汝等悲泣すること莫れ遂に瞻部州に到つて衆生を度せんが為の故に大明神と示現せんと文。 悲華経に云く第五百願に我来世穢悪土の中に於て大明神と現じて当に衆生を度すべし文。 大隅正八幡の石の銘に云く昔霊鷲山に在つて妙法華経を説く衆生を度せんが為の故に大菩薩と示現すと文。 行教和尚の夢の記に云く阿弥陀三尊 延暦二十三年甲申春、伝教大師渡海の願を遂げんが為に筑前宇佐の神宮寺に向つて自ら法華経を講ず、即ち託宣して云く我此の法音を聞かずして久しく歳年を歴たり幸に和尚に値遇して正教を聞くことを得て至誠に随喜す何ぞ徳を謝するに足らん苟くも我が所持の法衣有り即ち託宣の主・斎殿を開いて手に紫の袈裟一を捧げて和尚に上る、大悲力の故に幸に納受を垂れたまえ、是の時禰宜祝等各各之を随喜す元来此くの如きの奇事見ず聞かざるかなと、彼の施す所の法衣は山王院に在り文。 元慶元年丁酉十一月十三日権大宮司藤原実元女七歳にして託宣して云く我日本国を持ちて大明神と示現す本躰は是れ釈迦如来なり。 延喜二年四月二日二歳計りの小児に託宣して云く我無量劫自り以来度し難き衆生を教化す未度の衆生の為に此の中に在つて大菩薩と示現すと文。 一、北野の天神法華経に帰して真言等を用いざる事 天神の託宣に云く吾円宗の法門に於て未だ心に飽かず仍つて遠忌追善に当て須く密壇を改めて法華八講を修すべきなり、所以に曼陀羅供を改めて法華八講を始め吉祥院の八講と号す是なり、彼の院は北野天神の御旧跡なり。 一、賀茂大明神法華を信ずる事 一条院の御時年代記に之有り 恵心の僧都加茂社に七箇日参篭して出離生死の道は何れの経にか付く可きと祈誠有れば、示現して云く釈迦の説教は一乗に留り諸仏の成道は妙法に在り菩薩の六度は蓮華に在り二乗の作仏は此の経に在り文。 伝教大師加茂大明神に参詣して法華経を講ず甲冑をぬいで自ら布施し給い畢んぬ。 文句の十に云く得聞是経不老不死とは此れ須らく観解すべし不老は是れ楽・不死は是れ常・此の経を聞いて常楽の解を得文。 涅槃経の十三に云く是の諸の大乗方等経典は復無量の功徳を成就すと雖も是の経に比せんと欲す喩と為ることを得ず百倍千倍百千万億倍乃至算数譬喩も及ぶこと能わざる所なり、善男子譬えば牛より乳を出し乳より酪を出し酪より生蘇を出し生蘇より熟蘇を出し熟蘇より醍醐を出し醍醐最上なり、若し服すること有る者は衆病皆除く所有の諸薬悉く其の中に入るが如し、善男子・仏も亦是くの如し仏より十二部経を出生し十二部経より修多羅を出し修多羅より方等経を出し方等より般若波羅蜜を出し般若波羅蜜より大涅槃を出す猶醍醐の如し、醍醐と言うは仏性を喩う仏性とは即ち是れ如来なり文。 一、金剛峯寺建立修業縁記に云く、吾入定の間知足天に往いて慈尊御前に参仕すること五十六億七千余歳の後・慈尊下生の時必ず随従して吾が旧跡を見る可し此の峯等閑にすること勿れと文。 一、弘決に云く若し衆生・生死を出でず仏乗を慕わずと知らば魔・是の人に於て猶親想を生ずと文。 五百問論に云く大千界塵数の仏を殺すは其の罪尚軽し、此の経を毀謗すれば罪彼より多し永く地獄に入つて出期有ること無からん、読誦の者を毀呰する亦復是くの如し文。 一、広宣流布す可き法華の事 伝教大師の守護章に云く正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり何を以て知ることを得ん安楽行品に云く末世法滅時と文。 秀句の下に云く代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東・羯の西人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや、此の言良に所以有るなり文。 道暹和尚の輔正記に云く法華の教興れば権教即ち廃す日出れば星隠れ功なるを見て拙を知る文。 法華経の安楽行品に云く一切世間怨多くして信じ難し文。 薬王品に云く我滅度の後・後の五百歳の中・閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん文。 勧発品に云く我今神通力を以ての故に是の経を守護して如来滅後閻浮提の内に於て広く流布せしめて断絶せざらしめんと文。 文句の一に云く但当時大利益を獲るのみに非ず後五百歳遠く妙道に沾わんと文。 一乗要決に云く日本一州・円機純一・朝野遠近同く一乗に帰し緇素貴賤悉く成仏を期す、安然の広釈に云く彼の天竺国には外道有つて仏道を信ぜず亦小乗有つて大乗を許さず、其の大唐国には道法有つて仏法を許さず亦小乗有つて大乗を許さず、我が日本国には皆大乗を信じて一人として成仏を願わざること有ること無し、瑜伽論に云く東方に小国有つて唯大乗の機のみ有り豈我が国に非ずや文。 一、不謗人法の事 安楽行品に云く人及び経典の過を説くことを楽わざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ文。 止観の十に云く夫れ仏説に両説あり一に摂・二に折・安楽行の長短を称ぜざるが如き是れ摂の義なり、大経の刀杖を執持し乃至首を斬る是れ折の義なり、与奪途を殊にすと雖も倶に利益せしむ文。 弘決の十に云く夫れ仏法両説等は大経の執持刀杖等は第三に云く善男子・正法を護持する者・五戒を受けず・威儀を修せず乃至下の文は仙預国王等の文なり文。 文句の八に云く大経には偏に折伏を論じ一子地に住す何ぞ曾て摂受無からん、此の経には偏に摂受を明せども頭七分に破る折伏無きに非ず、各各一端を挙げて時に適うのみ文。 顕戒論の中に云く論じて曰く持品の上位は四行を用いず安楽の下位は必ず四行を修す摩訶薩の言定んで上下に通ずと文。 文句の八に云く持品は八万の大士忍力成ずる者此の土に弘経す新得記の者は他土に弘経す安楽行の一品文。 疏記の八に云く持品は即ち是れ悪世の方軌安楽行は即ち是れ始行の方軌なり故に住忍辱地等と云う、安楽行品に云く他人及び経典の過を説かざれ、他人の好悪長短を説かざれと文。 一、念仏の一切衆生の往生せざる事並びに難行道次に六道輪廻の事 善導和尚の玄義分に云く問うて曰く未審定散の二善出でて何れの文にか在る今既に教備つて虚しからず何れの機か受くることを得る、答えて曰く解するに二義有り一には謗法と無信八難及び非人と此等は受けざるなり斯れ乃ち朽林頑石生潤の期有る可からず此等の衆生は必ず受化の義無し、斯れを除いて已外は一心に信楽して求めて往生を願ずれば上み一形を尽し下も十念を収む仏の願力に乗じて皆往かざると云うこと莫し文。 往生礼讃に云く女人と及び根欠と二乗種とは生ぜずと文。 一、八難処の事 弘決の四に云く北州と及び三悪に長寿天と並びに世智弁聡と仏前仏後と・諸根不具を加う、是を八難と為すと文。 善導の遺言に云く我・毎日阿弥陀経六十巻・念仏六万返・懈怠無く三衣は身の皮の如く瓶鉢は両眼の如く諸の禁戒を持ち一戒をも犯さず未来の弟子も亦然り、設い念仏すと雖も戒を持たざる者は往生即ち得難し、譬えば小舟に大石を載せ大悪風に向つて去るが如し、設い本願の船有りと雖も破戒の大石重きが故に岸に就くこと万が一なり文。 観念法門経に云く酒肉五辛誓つて発願して手に捉らざれ口に喫らわざれ若し此の語に違せば即ち身口倶に悪瘡著かんと願せよ文。 法然上人の起請文に云く酒肉五辛を服して念仏を申さば予が門弟に非ずと文。 観念法門経に云く戒を持ちて西方弥陀を思念せよと文。 無量寿経に云く三心を具する者は必ず彼の国に生ずと文。 善導の釈に云く若し一心も少ければ即ち生ずることを得ずと明らかに知んぬ一少は是れ更に不可なることを、〓に因つて極楽に生ぜんと欲するの人は全く三心を具足す可きなり。 月蔵経に云く我が末法の時の中の億億の衆生行を起し行を修すとも未だ一人も得る者有らず、当今は末法なり現に是れ五濁悪世なり唯浄土の一門のみ有つて通入す可きの路なり文。 遺教経に云く浄戒を持つ者は販売貿易し田宅を安置し人民奴婢畜生を畜養することを得ざれ一切の種植及び諸の財宝・皆当に遠離すること火坑を避るが如くすべし草木を斬伐し墾土掘地することを得ざれ文。 善導和尚の所釈の観念法門経の酒肉五辛を禁ずる事の依経をいわば、無量寿経一に依り二巻十六観経二に依り一巻四紙の阿弥陀経三に依り一巻般舟三昧四に依り十往生経五に依り一巻浄土三昧経六に依る一巻 雙観経の下に云く無智の人の中にして此の経を説かざれ文。 一、観経と法華経との説時各別の事 善導和尚の疏の四に云く仏・彼の経を説きたまいし時処別時別・教別対機別・利益別なり又彼の経を説きたもう時は即ち観経・弥陀経等を説き給う時に非ず文。 阿弥陀経に云く況や三悪道無し文、無三悪と説くと雖も修羅・人・天之れ有り。 四十八願の第一に云く三悪趣無し設し我れ仏を得んに国に地獄・餓鬼・畜生・有らば正覚を取らじ。 第二の願に云く三悪道に更えらず極楽に於て又死す可しと云う設し我れ仏を得るも十方の無量不可思議の諸三悪道には正覚を取らじ文。 第三十五の願に云く聞名転女人往生せざる事設し我仏を得んに十方の無量不可思議の諸仏の世界に其れ女人有て我が名号を聞いて歓喜信楽して菩提心を発して女身を厭悪せん寿終の後復女像と為らば正覚を取らじ文。 一、黒衣並びに平念珠地獄に堕つ可き事 法鼓経に云く黒衣の謗法なる必ず地獄に堕す文。 勢至経に云く平形の念珠を以ゆる者は此れは是れ外道の弟子なり我が弟子に非ず仏子我が遺弟必ず円形の念珠を用ゆ可し次第を超越する者は妄語の罪に因つて必ず地獄に堕せん文。 一、天台の念仏の事 一 大意 一 本尊は阿弥陀常坐三昧 ?文殊説経・文殊問経に依る 二 釈名 一 発大心 二 本尊は阿弥陀常行三昧 ?般舟三昧経に依る 三 躰相 二 修大行 四種三昧 三 本尊は別有 半行半坐三昧?方等経・法華経に依る 四 摂法 五略者 三 感大果 四 本尊は観音 非行非坐三昧?説経・説善・説悪・説無記 止観十章者 五 偏円 四 裂大網 六 方便 五 帰大処 右四種三昧の次では先段に之を注す 七 正観 八 果報 九 起教 十 指帰 止観の七に云く若し四種三昧修習の方便は通じて上に説くが如し、唯法華懺法のみ別して六時五悔に約して重ねて方便を作す今五悔に就いて其の位相を明す文。 弘決の七に云く四種三昧は通じて二十五法を用いて通の方便と為す、若し法華を行ずるには別して五悔を加う余行に通ぜず文。 第七の正修止観とは止の五に云く前の六重は修多羅に依つて以て妙解を開き今は妙解に依つて以て正行を立つ文。 十疑の第四に云く釈迦大師一代の説法処処の聖教に唯衆生心を専にして偏に阿弥陀仏を念じて西方極楽世界に生ぜんことを求めよと勧めたまえり文。 七疑に云く又聞く西国の伝に云く三りの菩薩有り一を無著と名け二を世親と名け三を獅子覚と名く文。 八疑に云く雑集論に云く若し安楽国土に生ぜんと願わば即ち往生を得る等文。 一、天台御臨終の事 止観の一に云く安禅として化す位五品に居す文。 弘決の一に云く安禅として化す位五品に居す等とは此れ臨終の行位を出すなり、禅定を出でずして端坐して滅を取る故に安禅として化すと云う文、又云く法華と観無量寿の二部の経題を唱えしむ文、又云く香湯を索めて口を漱ぎ竟つて十如・四不生・十法界・四教・三観・四悉・四諦・十二縁を説くに一一の法門・一切の法を摂す、吾今最後に観を策まし玄を談ず最後善寂なり○跏趺して三宝の名を唱えて三昧に入るが如し即ち其の年十一月二十四日未の時・端坐して滅に入りたもう文。 又云く大師生存に常に兜率に生ぜん事を願う臨終に乃ち観音来迎すと云う、当に知るべし物に軌とり機に随い縁に順じて化を設く一准なる可からざることを文、又云く汝善根を種うるに嬾くして他の功徳を問う盲の乳を問い蹶きたる者の路を訪うが如し実を告げて何の益かあらん文。 選択集の上に云く願くは西方の行者各其の意楽に随い或は法華を読誦して以て往生の業と為し、或は華厳を読誦し以て往生の業と為し或は遮那教主及以び諸尊の法等を受持し読誦して往生の業と為し或は般若・方等及以び涅槃経等を解説し書写して以て往生の業と為す是れ則ち浄土宗観無量寿経の意なり文。 又云く問うて曰く爾前経の中何ぞ法華を摂するや、答えて曰く今言う所の摂とは権実偏円等の義を論ずるに非ず、読誦大乗の言は普く前後の大乗諸経に通ず文。 観無量寿経に云く爾の時に王舎大城に一りの太子有す阿闍世と名く、調達悪友の教に随順して父の王の頻婆沙羅を収執して幽閉して七重の室内に置く文。 法華経の序品に云く韋提希の子阿闍世王・若干百千の眷属と倶なり文。 恵心の往生要集の上に云く夫れ往生極楽の教行は濁世末代の目足なり道俗・貴賤誰か帰せざらん、但顕密の教法其の文一に非ず事理の業因其の行惟れ多し利智精進の人は未だ難と為さず、予が如き頑魯の者・豈敢てせんや、是の故に念仏の一門に依つて聊か経論の要文を集め之を披らき之を修するに覚り易く行じ易し文。 恵心往生要集を破し二十三年已後に一乗要決を作る、一乗要決の上に云く諸乗の権実は古来の諍なり倶に経論に拠つて互に是非を執す、余寛弘丙午の歳冬十月・病中に歎じて曰く仏法に遇うと雖も未だ仏意を了せず若し終に手を空うせば後悔何ぞ追ばん、爰に経論の文義賢哲の章疏或は人をして尋ねしめ或は自ら思択す、全く自宗他宗の偏党を捨てて専ら権智・実智の深奥を探るに遂に一乗は真実の理・五乗は方便の説なることを得る者なり、既に今生の蒙を開く何ぞ夕死の恨を遺さん文。 一、念仏は末代に流布す可き事 雙観経の下に云く当来の世に経道滅尽せんに我慈悲を以て哀愍して特に此の経を留めて止住すること百歳ならん、其れ衆生有つて斯の経に値う者は意の所願に随つて皆得度す可し文。 往生礼讃に云く万年に三宝・滅して此の経住すること百年、爾の時に聞いて一念もせば皆・当に往生を得べし文。 慈恩大師の西方要決に云く末法万年に余経悉く滅して弥陀の一教のみと文。 方便品に云く深く虚妄の法に著して堅く受けて捨つ可からず是くの如き人度し難しと文。 堅恵菩薩の宝性論に云く過去謗法の障り不了義に執著すと文。 方便品に云く若し余仏に遇わば此の法中に於て便ち決了することを得んと文。 玄の七に云く南岳師の云く初依を余仏と名く無明未だ破せず之を名けて余と為す、能く如来秘密の蔵を知つて深く円理を覚す之を名けて仏と為す文。 涅槃経疏十一に云く人正法を得るが故に聖人と云うと文。 像法決疑経に云く常施菩薩・初成道より乃至涅槃・其の中間に於て如来の一句の法を説くを見ず、然るに諸の衆生は出没・説法度人有りと見ると文。 二十五三昧・二十五有の略頌に曰く四州・四悪趣・六欲並びに梵世・四禅・四無色・無想・五那含文。 一、漢土南北の十師天台大師に帰伏する事 国清百録の第四に云く千年と復五百と復実に今日に在り南岳の叡聖天台の明哲昔は三業を住持し今は二尊に紹継す豈止だ甘露を振旦に灑ぐのみならん亦当に法鼓を天竺に振うべし、生知妙悟なり魏晋より以来典籍風謡実に連類無し云云、乃至禅衆一百余僧と共に智者大師を請し奉る。天台大師、俗性は陳氏、字は徳安、諱は智〓、頴川の人なり、後則ち南〓州華容県に遷居す。 一、伝教大師の一期略記に云く桓武天皇の御宇、延暦廿一年壬午正月十九日伝教大師最澄高尾寺に於て、六宗と諍い責め破り畢ぬ。仍つて勅宣を下され帰伏の状を召さる、六宗の碩学共に帰伏の状を奉りて云く漢明の年・教・震旦に被り礒島の代に訓本朝に及ぼす、聖徳の皇子は霊山の聖衆にして衡岳の後身なり経を西隣に請い道を東域に弘む、智者禅師は亦共に霊山に侍し迹を台岳に降し同く法華三昧を悟り以て諸仏の妙旨を演ぶる者なり、竊に天台の玄疏を見れば釈迦一代の教を惣括して悉く其の趣を顕わし処として通ぜざること無し独り諸宗に逾え殊に一道を示す、其の中の所説の甚深の妙理・七箇の大寺六宗の学匠昔未だ聞かざる所・曾て未だ見ざる所・三論・法相の久年の諍い渙焉として氷の如く釈け昭然として既に明かなり雲霧を披いて三光を見るが猶し、聖徳の弘化より以降今に二百余年の間・講ずる所の経論其の数惟れ多し彼此理を争つて其の疑未だ解けず、此の最妙の円宗猶未だ闡揚せず、蓋し以れば此の間の群生未だ円味に応ぜざるか、伏して惟れば聖朝久しく如来の付嘱を受け深く純円の機を結ぶ一妙の義理始めて乃ち興顕す、六宗の学衆初めて至極を悟る、謂つべし此の界の含霊而今而後悉く妙円の船に載つて早く彼岸に済ることを得と、如来の成道四十余年の後乃ち法華を説いて悉く三乗の侶をして共に一乗の車に駕せしむるが猶し、善議等慶躍の至りに堪えず敢て表を奉つて陳謝以て聞す云云。 秀句の下に云く当に知るべし已説の四時の経・今説の無量義経・当説の涅槃経は易信易解なることを随他意の故に、此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に、随自意の説は随他意に勝る、但し無量義を随他意と云うは未合の一辺を指す余部の随他意に同じからざるなり文。 文句の八に云く已とは大品以上の漸頓の諸説なり今とは同一の座席謂く無量義経なり当とは謂く涅槃なり、大品等の漸頓は皆方便を帯すれば信を取ること易しと為す今無量義は一より無量を生ずれども無量未だ一に還らず是亦信じ易し、今の法華は法を論ずれば一切の差別融通して一法に帰す人を論ずれば則ち師弟の本迹倶に皆久遠なり、二門悉く昔と反すれば信じ難く解し難し、鋒に当る難事をば法華已に説く涅槃は後に在れば則ち信ず可きこと易し、秘要の蔵とは隠して説かざるを秘と為し一切を惣括するを要と為す真如実相の包蘊せるを蔵と為す、不可分布とは法妙にして信じ難し深智には授く可し無智は罪を益す故に妄りに説く可らず、昔より已来未だ曾て顕説せずとは三蔵の中に於ては二乗の作仏を説かず、亦師弟の本迹を明かさず、方等般若には実相の蔵を説くと雖も亦未だ五乗の作仏を説かず、亦未だ発迹顕本せず頓漸の諸経皆未だ融会せず故に名けて秘と為す、此の経には具に昔秘する所の法を説く即ち是れ秘密蔵を開するに亦即ち是れ秘密蔵なり、此くの如きの秘蔵は未だ曾て顕説せず、如来在世猶多怨嫉といわば四十余年には即ち説くことを得ず今説かんと欲すと雖も而も五千尋いで即ち座を退く仏世すら尚爾り、何に況や未来をや理化し難きに在り。 楞伽経に云く我得道の夜より涅槃の夜に至るまで一字をも説かず文。 止観の五に云く是の故に二夜一字を説かずと文、又云く仏二法に因つて此くの如きの説を作したもう縁自法と及び本住の法を謂う、自法とは彼の如来の得る所我も亦之を得文、又云く文字を離るるとは仮名を離るるなり文。 法華に云く但仮の名字を以て衆生を引導したもう文。 玄義の五に云く恵能く惑を破し理を顕す・理は惑を破すこと能わず、理若し惑を破せば一切衆生・悉く理性を具す 何が故ぞ破せざる、若し此の恵を得れば則ち能く惑を破す故に智を用つて乗体と為す文。 弘の五に云く何の密語に依つて此くの如き説を作したもう、仏の言く二の密語に依る・謂く自証法・及び本住法なり、然るに一代の施化・豈権智被物の教無からんや、但此の二に約して未だ曾て説有らざる故に不説と云うのみ文。 籤の一に云く三に廃迹とは後の如く前の如し文を引く中・初に諸仏の下同を引く・為度の下正しく廃迹を明す、廃し已れば迹無し故に皆実と云う、実は只是れ本・権は只是れ迹・若し同異を弁ぜば広く第七の巻の如し文、籤の一に云く捨は只だ是れ廃・故に知んぬ開と廃は名異躰同なることを文。 止の六に云く和光同塵は結縁の始め八相成道は以て其の終りを論ずと文。 弘の六に云く和光の下・身を現ずるを釈するなり四住の塵に同じ処処に縁を結び浄土の因を作し利物の始めと為す、衆生機熟して八相成道す身を見・法を聞き終に実益に至る文。 天照大神の託宣に云く 往昔勤修して仏道を成じ求願円満遍照尊・閻浮に在つては王位を護り衆生を度せんが為に天照神。