同志と共に

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産湯相承事

日興之を記す 御名乗りの事、始めは是生・実名は蓮長と申し奉る・後には日蓮と御名乗り有る御事は悲母梅菊女童女の御名なり平の畠山殿の一類にて御座す云云法号妙蓮禅尼の御物語り御座す事には、我に不思議の御夢想あり、清澄寺に通夜申したりし時汝が志真に神妙なり一閻浮提第一の宝を与えんと思うなり、東条片海に三国の太夫と云う者あり是を夫と定めよと云云、其の歳の春・三月廿四日の夜なり正に今も覚え侍るなり。 我父母に後れ奉りて已後詮方なく遊女の如くなりし時御身の父に嫁げり、或夜の霊夢に曰く叡山の頂に腰をかけて近江の湖水を以て手を洗うて富士の山より日輪の出でたもうを懐き奉ると思うて打ち驚いて後・月水留ると夢物語りを申し侍れば、父の太夫我も不思議なる御夢想を蒙むるなり、虚空蔵菩薩貌吉き児を御肩に立て給う、此の少人は我が為には上行菩提薩〓なり日の下の人の為には生財摩訶薩〓なり、亦一切有情の為には行く末三世常恒の大導師なり、是を汝に与えんとのたもうと見て後御事懐妊の由を聞くと語り相いたりき、さてこそ御事は聖人なれ。 又産生まるべき夜の夢に富士山の頂に登つて十方を見るに明なる事掌の内を見るが如し三世明白なり、梵天・帝釈・四大天王等の諸天悉く来下して本地自受用報身如来の垂迹・上行菩薩の御身を凡夫地に謙下し給う御誕生は唯今なり、無熱池の主阿那婆達多竜王・八功徳水を応に汲み来るべきなり、当に産湯に浴し奉るべしと諸天に告げ給えり、仍て竜神王・即時に青蓮華を一本荷い来れり、其の蓮より清水を出して御身を浴し進らせ侍りけり、其の余れる水をば四天下に灑ぐに其の潤いを受くる人畜・草木・国土世間・悉く金色の光明を放ち四方の草木花発らき菓成る。 男女座を並べて有れども煩悩無く淤泥の中より出れども塵泥に染まず、譬えば蓮華の泥より出でて泥に染まざるが如し、人天・竜畜・共に白き蓮を各手に捧げて日に向つて今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・唯我一人・能為救護と唱え奉ると見て驚けば則聖人出生し給えり、毎自作是念・以何令衆生・得入無上道・速成就仏身と苦我〓き給う。 我少し寐みし様なりし時・梵帝等の諸天・一同音に唱えて言く善哉善哉・善日童子・末法教主釈迦仏と三度唱えて作礼して去し給うと寤に見聞きしなりと慥に語り給いしを聞し食しさては某は日蓮なりとの給いしなり。 聖人重ねて曰う様は日蓮が弟子檀那等・悲母の物語りと思うべからず即ち金言なり・其の故は予が修行は兼ねて母の霊夢にありけり・日蓮は富士山自然の名号なり、富士は郡名なり実名をば大日蓮華山と云うなり、我中道を修行する故に是くの如く国をば日本と云い神をば日神と申し仏の童名をば日種太子と申し予が童名をば善日・仮名は是生・実名は即ち日蓮なり。 久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神は我国に天下り始めし国は出雲なり、出雲に日の御崎と云う所あり、天照太神始めて天下り給う故に日の御崎と申すなり。 我が釈尊・法華経を説き顕し給いしより已来十羅刹女と号す、十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名・本地垂迹の利益広大なり、日神と月神とを合して文字を訓ずれば十なり、十羅刹と申すは諸神を一体に束ね合せたる深義なり、日蓮の日は即日神・昼なり蓮は即月神・夜なり、月は水を縁とす蓮は水より生ずる故なり、又是生とは日の下の人を生むと書けり。 日蓮は天上・天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり、今久遠下種の寿量品に云く「今此三界皆是我有主君の義なり其中衆生悉是吾子父母の義なり而今此処多諸患難国土草木唯我一人能為救護師匠の義なり」と云えり、三世常恒に日蓮は今此三界の主なり、日蓮は大恩以希有事・憐愍教化利益・我等無量億劫誰能報者なるべし。 若し日蓮が現在の弟子並びに未来の弟子等の中に日文字を名乗の上の字に置かずんば自然の法罰を蒙ると知るべし、予が一期の功徳は日文字に留め置くと御説法ありし儘・日興謹んで之を記し奉る。 聖人の言く此の相承は日蓮嫡嫡一人の口決・唯授一人の秘伝なり神妙神妙とのたまいて留め畢んぬ。