鵞目一貫並びにつつひとつ給い候い了んぬやのはしる事は弓のちから・くものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちからなり、いまときどののこれへ御わたりある事尼ごぜんの御力なり、けぶりをみれば火をみるあめをみればりうをみる、をとこをみればめをみる、今ときどのにけさんつかまつれば尼ごぜんをみたてまつるとをぼう、ときどのの御物がたり候はこのはわのなげきのなかにりんずうのよくをはせしと尼がよくあたりかんびやうせし事のうれしさいつのよにわするべしともをぼえずと・よろこばれ候なり、なによりもをぼつかなき事は御所労なり、かまえてさもと三年はじめのごとくにきうじせさせ給へ、病なき人も無常まぬかれがたし但しとしのはてにはあらず、法華経の行者なり非業の死にはあるべからずよも業病にては候はじ、設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり、尼ごぜん又法華経の行者なり御信心月のまさるがごとく・しをのみつがごとし、いかでか病も失せ寿ものびざるべきと強盛にをぼしめし身を持し心に物をなげかざれ、なげき出来る時はゆきつしまの事だざひふの事かまくらの人人の天の楽・のごとにありしが、当時つくしへむかへばとどまるめこゆくをとこ、はなるるときはかわをはぐがごとくかをと・かをとをとりあわせ目と目とをあわせてなげきしが、次第にはなれてゆいのはま・いなぶらこしごえさかわはこねさか一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとをざかるあゆみをかわも山もへだて雲もへだつればうちそうものはなみだなりともなうものはなげきなり、いかにかなしかるらむかくなげかんほどに・もうこのつわものせめきたらば山か海もいけとりか・ふねの内か・かうらいかにて・うきめにあはん、これ・ひとへに失もなくて日本国の一切衆生の父母となる法華経の行者日蓮をゆへもなく或はのり或は打ち或はこうじをわたし、ものにくるいしが十羅刹のせめをかほりてなれる事なり、又又これより百千万億倍たへがたき事どもいで来るべし、不思議を目の前に御らんあるぞかし、我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なにのなげきか有るべき、きさきになりても・なにかせん天に生れても・ようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波闍波提比丘尼のれちにつらなるべし、あらうれし・あらうれし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えさせ給へ、恐恐謹言。