同志と共に

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破良観等御書はりょうかんとうごしょ

良観・道隆・悲願聖人等が極楽寺・建長寺・寿福寺・普門寺等を立てて叡山の円頓大戒を蔑如するが如し、此れは第一には破僧罪なり・二には仏の御身より血を出だす、今の念仏者等が教主釈尊の御入滅の二月十五日を・をさへとり・阿弥陀仏の日とさだめ仏生日の八日をば薬師仏の日といゐ、一切の真言師が大日如来をたのみて教主釈尊は無明に迷える仏・我等が履とりにも及ばず結句は潅頂して釈迦仏の頭をふむ、禅宗の法師等は教外別伝とののしりて一切経をば・ほんぐには・をとり我等は仏に超過せりと云云、此は南印度の大慢ばら門がながれ出仏身血の一分なり、第三に蓮花比丘尼を打ちころす・これ仏の養母にして阿羅漢なり、此れは阿闍世王の提婆達多をすてて仏につき給いし時いかりをなして大火・〓をやきしかば・はらをすへかねて此の尼のゆきあひ候たりしを打ち殺せしなり、今の念仏者等が念仏と禅と律と真言とをせめられて・のぶるかたわなし、結句は檀那等をあひかたらひて日蓮が弟子を殺させ・予が頭等にきずをつけ・ざんそうをなして二度まで流罪・あわせて頚をきらせんと・くわだて・弟子等数十人をろうに申し入るるのみならず、かまくら内に火をつけて日蓮が弟子の所為なりとふれまわして一人もなく失わんとせしが如し。 而るに提婆達多が三逆罪は仏の御身より血をいだせども爾前の仏・久遠実成の釈迦にはあらず、殺羅漢も爾前の羅漢・法華経の行者にはあらず、破和合僧も爾前小乗の戒なり・法華円頓の大戒の僧にもあらず、大地われて無間地獄に入りしかども法華経の三逆ならざればいたうも深くあらざりけるかのゆへに・提婆は法華経にして天王如来とならさせ給う、今の真言師・念仏者・禅・律等の人人・並に此れを御帰依ある天子並びに将軍家・日本国の上下万人は法華経の強敵となる上・一乗の行者の大怨敵となりぬ、されば設い一切経を覚り十方の仏に帰依し一国の堂塔を建立し一切衆生に慈悲ををこすとも・衆流大海に入りかんみとなり衆鳥・須弥山に近ずきて同色となるがごとく、一切の大善変じて大悪となり七福かへりて七難をこり現在眼前には他国のせめきびしく・自身は兵にやぶられ妻子は敵にとられて後生には無間大城に堕つべし。 此れをもんてをもうに故弥四郎殿は設い大罪なりとも提婆が逆にはすぐべからず、何に況や小罪なり法華経を信ぜし人なれば無一不成仏疑なきものなり。 疑て云く今の真言師等を無間地獄と候は心へられぬ事なり、今の真言は源弘法大師・伝教大師・慈覚大師・智証大師此の四大師のながれなり、此の人人・地獄に堕ち給はずば今の真言師いかで堕ち候べき、答えて云く地獄は一百三十六あり一百三十五の地獄へは堕つる人雨のごとし其の因やすきゆへなり、一の無間大城へは堕つる人かたし・五逆罪を造る人まれなるゆへなり、又仏前には五逆なし但殺父殺母の二逆計りあり、又二逆の中にも仏前の殺父・殺母は決定として無間地獄へは堕ちがたし畜生の二逆のごとし、而るに今日本国の人人は又一百三十五の地獄へはゆきがたし、日本国の人人・形はことなれども同じく法華経誹謗の輩なり、日本国異なれども同じく法華誹謗の者となる事は源伝教より外の三大師の義より事をこれり。 問うて云く三大師の義如何、答えて云く弘法等の三大師は其の義ことなれども同じく法華経誹謗は一同なり、所謂善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の法華経誹謗の邪義なり。問うて云く三大師の地獄へ堕つる証拠如何、答えて云く善無畏三蔵は漢土日本国の真言宗の元祖なり彼の人すでに頓死して閻魔のせめにあへり、其のせめに値う事は他の失ならず法華経は大日経に劣ると立てしゆへなり、而るを此の失を知らずして其の義をひろめたる慈覚・智証・地獄を脱るべしや、但し善無畏三蔵の閻魔のせめにあづかりし故をだにも・たづねあきらめば此の事自然に顕れぬべし・善無畏三蔵の鉄の縄七すぢつきたる事は大日経の疏に我とかかれて候上・日本醍醐の閻魔堂・相州鎌倉の閻魔堂にあらわせり、此れをもつて慈覚・智証等の失をば知るべし。 問うて云く法華経と大日の三部経の勝劣は経文如何、答えて曰く法華経には諸経の中に於て最も其の上に在りと説かれて此の法華経は一切経の頂上の法なりと云云、大日経七巻・金剛頂経三巻・蘇悉地経三巻・已上十三巻の内・法華経に勝ると申す経文は一句一偈もこれなし、但蘇悉地経計りにぞ三部の中に於て此の経を王と為すと申す文候、此れは大日の三部経の中の王なり全く一代の諸経の中の大王にはあらず、例せば本朝の王を大王といふ・此れは日本国の内の大王なり・全く漢土・月支の諸王に勝れたる大王にはあらず、法華経は一代の一切経の中の王たるのみならず・三世十方の一切の諸仏の所説の中の大王なり、例せば大梵天王のごときんば諸の小王・転輪王・四天王・釈王・魔王等の一切の王に勝れたる大王なり、金剛頂経と申すは真言教の頂王・最勝王経と申すは外道・天仙等の経の中の大王・全く一切経の中の頂王にはあらず、法華経は一切経の頂上の宝珠なり、論師・人師をすてて専ら経文をくらべば・かくのごとし、而るを天台宗・出来の後・月氏よりわたれる経論並に天竺・漢土にして立てたる宗宗の元祖等・修羅心を・さしはさめるかのゆへに或は経論にわたくしの言をまじへて事を仏説によせ・或は事を月氏の経によせなんどして・私の筆をそへ仏説のよしを称す、善無畏三蔵等は法華経と大日経との勝劣を定むるに理同事勝と云云、此れは仏意にはあらず、仏説のごとくならば大日経等は四十余年の内・四十余年の内にも華厳・般若等には及ぶべくもなし、但阿含・小乗経にすこしいさてたる経なり、而るを慈覚大師等は此の義を弁えずして善無畏三蔵を重くをもうゆへに理同事勝の義を実義とをもえり、弘法大師は又此等には・にるべくもなき僻人なり、所謂法華経は大日経に劣るのみならず華厳経等にも・をとれり等云云、而を此の邪義を人に信ぜさせんために或は大日如来より写瓶せりといゐ或は我まのあたり霊山にして・きけりといゐ或は師の慧果和尚の我をほめし或は三鈷をなげたりなんど申し種種の誑言をかまへたり、愚な者は今信をとる、又天台の真言師は慈覚大師を本とせり、叡山の三千人もこれを信ずる上・堕つて代代の賢王の御世に勅宣を下す、其の勅宣のせんは法華経と大日経とは同醍醐・譬へば鳥の両翼・人の左右の眼等云云、今の世の一切の真言師は此の義をすぎず、此等は螢火を日月に越ゆとをもひ蚯蚓を花山より高しという義なり、其の上一切の真言師は潅頂となづけて釈迦仏を直ちにかきてしきまんだらとなづけて弟子の足にふませ、或は法華経の仏は無明に迷える仏・人の中のいぞのごとし真言師が履とりにも及ばずなんどふみにつくれり、今の真言師は此の文を本疏となづけて日日・夜夜に談義して公家武家のいのりと・がうして・ををくの所領を知行し檀那をたぼらかす、事の心を案ずるに彼の大慢ばら門がごとく無垢論師にことならず、此等は現身に阿鼻の大火を招くべき人人なれども強敵のなければ・さてすぐるか、而りといへども其のしるし眼前にみへたり、慈覚と智証との門家等・闘諍ひまなく・弘法と聖覚が末孫が本寺と伝法院・叡山と薗城との相論は修羅と修羅と猿と犬とのごとし、此等は慈覚の夢想に日をいるとみ・弘法の現身妄語のすへか、仏末代を記して云く謗法の者は大地微塵よりも多く正法の者は爪上の土よりすくなかるべし、仏語まことなるかなや今日本国かの記にあたれり。 予はかつしろしめされて候がごとく幼少の時より学文に心をかけし上・大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て日本第一の智者となし給へ、十二のとしより此の願を立つ其の所願に子細あり今くはしく・のせがたし、其の後先ず浄土宗・禅宗をきく・其の後叡山・薗城・高野・京中・田舎等処処に修行して自他宗の法門をならひしかども・我が身の不審はれがたき上・本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからず・いづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん、又法門によりては設い王のせめなりとも・はばかるべからず・何に況や其の已下の人をや、父母・師兄等の教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらず・ありのままに申すべしと誓状を立てしゆへに・三論宗の嘉祥・華厳宗の澄観・法相宗の慈恩等をば天台・妙楽・伝教等は無間地獄とせめたれども・真言宗の善無畏三蔵・弘法大師・慈覚・智証等の僻見は・いまだ・せむる人なし、善無畏・不空等の真言宗をすてて天台による事は妙楽大師の記の十の後序並に伝教大師の依憑集にのせられたれども・いまだ・くはしからざればにや慈覚・智証の謬〓は出来せるかと強盛にせむるなり。 かく申す程に年卅二・建長五年の春の比より念仏宗と禅宗と等をせめはじめて後に真言宗等をせむるほどに・念仏者等始にはあなづる、日蓮いかに・かしこくとも明円房・公胤僧上・顕真座主等には・すぐべからず、彼の人人だにもはじめは法然上人をなんぜしが後にみな堕ちて或は上人の弟子となり或は門家となる、日蓮は・かれがごとし我つめん我つめんとはやりし程に、いにしへの人人は但法然をなんじて善導・道綽等をせめず、又経の権実を・いわざりしかばこそ念仏者はをごりけれ、今日蓮は善導・法然等をば無間地獄につきをとして専ら浄土の三部経を法華経に・をしあはせて・せむるゆへに、螢火に日月・江河に大海のやうなる上・念仏は仏のしばらくの戯論の法・実にこれをもつて生死を・はなれんとをもわば大石を船に造り大海をわたり・大山をになて嶮難を越ゆるがごとしと難ぜしかば・面をむかうる念仏者なし。 後には天台宗の人人を・かたらひて・どしうちにせんと・せしかども・それもかなはず、天台宗の人人も・せめられしかば在家出家の心ある人人・少少念仏と禅宗とをすつ、念仏者・禅宗・律僧等我が智力叶わざるゆへに諸宗に入りあるきて種種の讒奏をなす、在家の人人は不審あるゆへに各各の持僧等或は真言師或は念仏者或はふるき天台宗或は禅宗或は律僧等をわきにはさみて或は日蓮が住処に向い或はかしこへよぶ、而れども一言二言にはすぎず・迦旃延が外道をせめしがごとく徳慧菩薩が摩沓婆をつめしがごとく・せめしゆへに其の力及ばず、人は智かしこき者すくなきかのゆへに結句は念仏者等をば・つめさせてかなはぬところには・大名して・ものをぼへぬ侍どもたのしくて先後も弁えぬ在家の徳人等挙て日蓮をあだするほどに・或は私に狼藉をいたして日蓮が・かたの者を打ち或は所ををひ或は地をたて・或はかんだうをなす事かずをしらず、上に奏すれども人の主となる人は・さすが戒力といゐ福田と申し子細あるべきかとをもひて左右なく失にも・なされざりしかば・きりものども・よりあひてまちうど等をかたらひて数万人の者をもつて夜中にをしよせ失わんとせしほどに・十羅刹の御計らいにてやありけん日蓮其の難を脱れしかば・両国の吏・心をあわせたる事なれば殺されぬを・とがにして伊豆の国へながされぬ、最明寺殿計りこそ子細あるかとをもわれていそぎゆるされぬ。 さりし程に最明寺入道殿隠れさせ給いしかば・いかにも此の事あしくなりなんず、いそぎかくるべき世なりとは・をもひしかども・これにつけても法華経のかたうど・つよくせば一定事いで来るならば身命を・すつるにてこそ・あらめと思い切りしかば讒奏の人人いよいよ・かずをしらず、上下万人・皆父母のかたきとわりをみるがごとし、不軽菩薩の威音王仏のすへにすこしもたがう事なし。