者どもをば少少はをひいだし・或はきしやうかかせて・はうにすぎて候いつるが・七月末八月の始に所領かわり一万余束の作毛をさへ・かられて山やにまとひ候ゆへに・日蓮なを・ばうじつるゆへかと・ののしり候上・御かへりの後七月十五日より上下いしはいと申す虫ふりて国大体三分のうへそんじ候いぬ、をほかた人のいくべしともみへず候、これまで候をもい・たたせ給う上なに事もと・をもひ候へども・かさねての御心ざしはうにもすぎ候か。 なによりもおぼつかなく候いつる事は・とののかみの御気色いかんがと・をぼつかなく候いつるに・なに事もなき事申すばかりなし。 かうらいむこの事うけ給わり候ぬ、なにとなくとも釈迦如来・法華経を失い候いつる上は・大果報ならば三年はよもとをもひ候いつるに・いくさ・けかち・つづき候いぬ、国はいかにも候へ法華経のひろまらん事疑なかるべし。 御母への御事・経をよみ候事に申し候なり、此の御使いそぎ候へば・くはしく申さず候、恐恐。
其の上日蓮の身並びに弟子又過去謗法の重罪未だ尽きざるの上現在多年の間謗法の者と為り亦謗法の国に生る、当時信心深からざらんか豈之を脱れんや、但し貴辺此の病を受くるの理或人之を告ぐ予日夜朝暮に法華経に申し上げ朝暮に青天に訴う除病の由今日之を聞く喜悦何事か之に過ぎん、事事見参を期せん、恐恐。