(法華経の題目の)功徳を先の功徳と比べるならば、前の功徳は爪の上の土のようなものである。法華経の題目の功徳は十方の土のようである。先の功徳は一滴の水のようなものである。(法華経の)題目の功徳は大海のようである。先の功徳は瓦礫のようなものである。題目の功徳は金銀のようである。先の功徳は螢火のようなものである。題目の功徳は太陽や月のようであるという経文である。
大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか、普賢菩薩の来るには大地を六種にうごかせり、事多しといへども・しげきゆへにとどむ、又又申すべし。
追つて申す、御器の事は越後□□房申し候べし、御心ざしふかき由・内房へ申させ給い候へ。春の始の御悦び自他申し篭め候い畢んぬ、抑去年の来臨は曇華の如し、将又夢か幻か疑いまだ晴れず候処に。