同志と共に

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船守弥三郎許御書ふなもりやさぶろうもとごしょ

わざわざ使いをいただいて、ちまき・酒・干飯・山椒・紙などの品々を頂戴いたしました。また、使いの方の申されるには、このことは内密にされるようにとのことですので、日蓮はたしかに心得えました。
日蓮が去る五月十二日、流罪となりその津に着いたとき、いまだ名をも聞いたことのないところに、船より上がり、苦しんでいたところに、ねんごろにお世話をいただいたことは、いかなる宿習でしょうか。過去に法華経の行者であられたのが、今末法に船守の弥三郎と生まれかわって、日蓮を憐れまれるのでしょうか。たとえ男はそうであったとしても、女房の身として食を与えていただき、洗足・手水そのほかにも、丁寧に世話をしていただいたことは、日蓮は理解できず、不思議という以外にありません。
特に三十日あまりの間に、内心に法華経を信じ、日蓮を供養された事はいかなる理由によるのでしょうか。ここの地頭や多くの人々が日蓮を憎み、妬む事は鎌倉以上です。見るものは目くばせをし、聞く人は恨んでいる。ことに五月の頃ともなれば米も乏しいでしょうに、日蓮を内々に養っていただいたことは、日蓮の父母が伊豆の伊東・川奈というところに生まれかわったのでしょうか。
法華経第四にこうあります。
「及清信士女供養於法師(および清信士女をつかわせて法師を供養せしめ)」
法華経を修行する者を、諸天善神等が男となったり女となったりして、形を変えて様々に供養して助けるでしょうという経文です。弥三郎殿夫婦がこの士・女と生まれて日蓮法師を供養している事に間違いありません。
先に差し上げた文に細かく書いていますので、今は詳しく述べません。
ことに、ここの地頭の病悩について祈請をしたいといわれたとき、どうすべきかと案じました。しかし一分でも信仰の心を日蓮に出されたので、法華経へ訴えようと思いました。この時は十羅刹女もどうして力を合わせられないことがあろうかと思い、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏並びに天照・八幡・大小の神祇等に申しました。必ず評議があって結果を出されることでしょう。よもや日蓮を捨てることはありません。痛いところ・かゆいところに手が届くようにとりはかられると思っていたところ、ついに病悩は治り、そして海中の鱗のついた藻屑の中より出現した仏体を日蓮に賜れた事、これは病悩のゆえでしょう。さだめて十羅刹女が責めたからに違いない。この功徳も夫婦二人の功徳となるでしょう。
私たち衆生は、無始よりこのかた生死海の中にあったが、法華経の行者となって無始の色心は、本来理性であり、妙境と妙智を具えた金剛不滅の仏身となるであろうことは、どうしてかの仏と異なることがあるでしょう。過去久遠五百塵点の当初唯我一人の教主釈尊とは私たち衆生の事なのです。法華経の一念三千の法門・常住此説法[常にここに住して法を説く]の振る舞いなのです。このように尊い法華経と釈尊でありますが凡夫は知りません。
寿量品に説かれる「顛倒の衆生をして近しといえどもしかも見えざらしむ」とはこれです。迷いと悟りによって不同があるのは沙羅の四見[見る人の機根・境地によって沙羅の林が四種に見えた]のようなものです。一念三千の仏というのは法界のすべてが成仏するということなのです。
雪山童子の前に来た鬼神は帝釈の変化した姿です。尸毘シビ王の所に逃げ込んだ鳩は昆首羯摩天ビシユカツマテンでした。班足ハンソク王の城へ入った普明王は教主釈尊であられました。肉眼では見えず、仏眼でのみこれが見えます。大空と大海には魚や鳥の飛行する跡があります。これらは経文に説かれています。
木像は金色で、金色はすなわち木像です。阿那律尊者の金コガネはウサギや死人となり、釈摩男が手にすれば砂も金となった。これらは思議することができません。凡夫はすなわち仏であり、仏はすなわち凡夫です。一念三千・我実成仏とはこのことです。
そうであるから、夫婦二人は教主大覚世尊が生まれかわられて日蓮を助けたのでしょう。伊東と川奈の道程は近いが(人々の)心は遠い。後のために手紙を差し上げます。人に話さないように心得てください。少しでも人が知ったならばためにならないでしょう。胸の中にしまって人に話す事のないように。あなかしこ・あなかしこ、南無妙法蓮華経。