同志と共に

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三三蔵祈雨事さんさんぞうきうのこと

夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず、本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ、甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ、又三千大千世界のなかには舎利弗・迦葉尊者をのぞいては仏よにいで給はずば一人もなく三悪道に堕つべかりしが、仏を・たのみまいらせし強縁によりて一切衆生は・をほく仏になりしなり、まして阿闍世王・あうくつまらなんど申せし悪人どもは・いかにも・かなうまじくて必ず阿鼻地獄に堕つべかりしかども・教主釈尊と申す大人にゆきあはせ給いてこそ仏にはならせ給いしか、されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり、而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり、されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り・梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり、而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく善知識は爪上の土よりもすくなし、補陀落山の観世音菩薩は善財童子の善知識・別円二教ををしへて・いまだ純円ならず、常啼菩薩は身をうて善知識をもとめしに曇無竭菩薩にあへり、通別円の三教をならひて法華経ををしへず、舎利弗は金師が善知識・九十日と申せしかば闡提の人となしたりき、ふるなは一夏の説法に大乗の機を小人となす、大聖すら法華経をゆるされず証果のらかん機をしらず、末代悪世の学者等をば此をもつてすいしぬべし、天を地といゐ東を西といゐ・火を水とをしへ・星は月にすぐれたり、ありづかは須弥山にこへたり、なんど申す人人を信じて候はん人人は・ならはざらん悪人に・はるかをとりてをしかりぬべし。 日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず、而るに去る文永五年の比・東には俘囚をこり西には蒙古よりせめつかひつきぬ、日蓮案じて云く仏法を信ぜざればなり定めて調伏をこなはれずらん、調伏は又真言宗にてぞあらんずらん、月支・漢土・日本三箇国の間に且く月支はをく、漢土日本の二国は真言宗にやぶらるべし、善無畏三蔵・漢土に亘りてありし時は唐の玄宗の時なり、大旱魃ありしに祈雨の法を・をほせつけられて候しに・大雨ふらせて上一人より下万民にいたるまで大に悦びし程に・須臾ありて大風吹き来りて国土をふきやぶりしかば・けをさめてありしなり、又其の世に金剛智三蔵わたる、又雨の御いのりありしかば七日が内に大雨下り上のごとく悦んでありし程に、前代未聞の大風吹きしかば・真言宗は・をそろしき悪法なりとて月支へをわれしが・とかうしてとどまりぬ、又同じ御世に不空三蔵・雨をいのりし程三日が内に大雨下る悦さきのごとし、又大風吹きてさき二度よりも・をびただし数十日とどまらず、不可思議の事にてありしなり、此は日本国の智者愚者一人もしらぬ事なり、しらんとをもはば日蓮が生きてある時くはしくたづねならへ、日本国には天長元年二月に大旱魃あり、弘法大師も神泉苑にして祈雨あるべきにて・ありし程に守敏と申せし人すすんで云く「弘法は下〓なり我は上〓なり・まづをほせを・かほるべし」と申す、こうに随いて守敏をこなう、七日と申すには大雨下りしかども京中計りにて田舎にふらず、弘法にをほせつけられてありしかば七日にふらず二七日にふらず三七日にふらざりしかば、天子我といのりて雨をふらせ給いき、而るを東寺の門人等我が師の雨とがうす、くわしくは日記をひきて習うべし、天下第一のわうわくのあるなり、これより外に弘仁九年の春のえきれい又三古なげたる事に不可思議の誑惑あり口伝すべし。 天台大師は陳の世に大旱魃あり法華経をよみて・須臾に雨下り王臣かうべをかたぶけ万民たなごころをあはせたり、しかも大雨にもあらず風もふかず甘雨にてありしかば、陳王大師の御前にをはしまして内裏へかへらんことをわすれ給いき、此の時三度の礼拝はありしなり。去る弘仁九年の春・大旱魃ありき・嵯峨の天王真綱と申す臣下をもつて冬嗣のとり申されしかば・法華経・金光明経・仁王経をもつて伝教大師祈雨ありき、三日と申せし日ほそきくもほそきあめしづしづと下りしかば・天子あまりによろこばせ給いて、日本第一のかたことたりし大乗の戒壇はゆるされしなり、伝教大師の御師・護命と申せし聖人は南都第一の僧なり、四十人の御弟子あいぐして仁王経をもつて祈雨ありしが五日と申せしに雨下りぬ、五日は・いみじき事なれども三日にはをとりて而も雨あらかりしかばまけにならせ給いぬ、此れをもつて弘法の雨をばすひせさせ給うべし、かく法華経はめでたく真言はをろかに候に日本のほろぶべきにや一向真言にてあるなり、隠岐の法王の事をもつてをもうに・真言をもつて蒙古とえぞとをでうぶくせば・日本国やまけんずらんと・すひせしゆへに此の事いのちをすてて・いゐて・みんとをもひしなり、いゐし時はでしらせいせしかども・いまはあひぬれば心よかるべきにや、漢土・日本の智者・五百余年の間一人もしらぬ事をかんがへて候なり、善無畏・金剛智・不空等の祈雨に雨は下りて而も大風のそひ候は・いかにか心へさせ給うべき、外道の法なれども・いうにかひなき道士の法にも雨下る事あり、まして仏法は小乗なりとも法のごとく行うならば・いかでか雨下らざるべき、いわうや大日経は華厳・般若にこそをよばねども阿含には・すこしまさりて候ぞかし、いかでか・いのらんに雨下らざるべき・されば雨は下りて候へども大風のそいぬるは大なる僻事のかの法の中にまじわれるなるべし、弘法大師の三七日に雨下らずして候を天子の雨を我が雨と申すは・又善無畏等よりも大にまさる失のあるなり。 第一の大妄語には弘法大師の自筆に云く、「弘仁九年の春疫れいをいのりてありしかば夜中に日いでたり」と云云、かかるそらごとをいう人なり、此の事は日蓮が門家第一の秘事なり本文をとりつめていうべし、仏法はさてをきぬ上にかきぬる事天下第一の大事なり、つてに・をほせあるべからず御心ざしのいたりて候へば・をどろかしまいらせ候、日蓮をばいかんがあるべかるらんとをぼつかなしと・をぼしめすべきゆへに・かかる事ども候、むこり国だにも・つよくせめ候わば今生にもひろまる事も候いなん、あまりにはげしくあたりし人人は・くゆるへんもや・あらんずらん。 外道と申すは仏前・八百年よりはじまりて、はじめは二天・三仙にてありしが・やうやく・わかれて九十五種なり、其の中に多くの智者・神通のもの・ありしかども一人も生死をはなれず、又帰依せし人人も善につけ悪につけて皆三悪道に堕ち候いしを・仏出世せさせ給いてありしかば、九十五種の外道・十六大国の王臣諸民をかたらひて或はのり或はうち或は弟子或はだんな等・無量無辺ころせしかども仏たゆむ心なし、我此の法門を諸人にをどされていゐやむほどならば一切衆生地獄に堕つべしと・つよくなげかせ給いしゆへに・退する心なし、この外道と申すは先仏の経経を見て・よみそこないて候いしより事をこれり。 今も又かくのごとし、日本の法門多しといへども源は八宗・九宗・十宗よりをこれり、十宗のなかに華厳等の宗宗は・さてをきぬ、真言と天台との勝劣に弘法・慈覚・智証のまどひしによりて日本国の人人・今生には他国にもせめられ後生にも悪道に堕つるなり、漢土のほろび又悪道に堕つる事も善無畏・金剛智・不空のあやまりよりはじまれり、又天台宗の人人も慈覚・智証より後は・かの人人の智慧にせかれて天台宗のごとくならず、されば・さのみやはあるべき。 いわうや日蓮は・かれにすぐべきとわが弟子等をぼせども・仏の記文にはたがはず、末法に入つて仏法をばうじ無間地獄に堕つべきものは大地微塵よりも多く、正法をへたらん人は爪上の土よりも・すくなしと涅槃経にはとかれ、法華経には設い須弥山をなぐるものはありとも・我が末法に法華経を経のごとくにとく者ありがたしと記しをかせ給へり、大集経・金光明経・仁王経・守護経・はちなひをん経・最勝王経等に末法に入つて正法を行ぜん人・出来せば邪法のもの王臣等にうたへて・あらんほどに彼の王臣等・他人が・ことばにつひて一人の正法のものを或はのり或はせめ或はながし或はころさば梵王・帝釈・無量の諸天・天神・地神等・りんごくの賢王の身に入りかはりてその国をほろぼすべしと記し給へり、今の世は似て候者かな。 抑各各はいかなる宿善にて日蓮をば訪はせ給へるぞ、能く能く過去を御尋ね有らば・なにと無くとも此度生死は離れさせ給うべし、すりはむどくは三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ・是れ偏に末代の今の世を表するなり、敢て人の上と思し食すべからず事繁ければ止め置き候い畢んぬ、抑当時の怱怱に御志申す計り候はねば大事の事あらあらをどろかしまひらせ候、ささげ青大豆給い候いぬ。 六月二十二日日蓮花押