同志と共に

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南条殿御返事なんじょうどのごへんじ

白麦一俵・小白麦一俵・河のり五でふ・送り給び了んぬ。 仏の御弟子に阿那律尊者と申せし人は・をさなくしての御名をば如意と申す、如意と申すは心のおもひのたからをふらししゆへなり、このよしを仏にとひまいらせ給いしかば・昔うえたるよに縁覚と申す聖人をひゑのはんをもつて供養しまいらせしゆへと答えさせ給う。 迦葉尊者と申せし人は仏についでも閻浮提第一の僧なり、俗にてをはせし時は長者にて・からを六十そのくらに金を百四十こくづつ入れさせ給う、それより外のたから申すばかりなし、この人のせんじやうの御事を仏にとひまいらせさせ給いしかば・むかしうえたるよにむぎのはんを一ぱひ供養したりしゆへに・〓利天に千反生れて今釈迦仏に値いまいらせ僧の中の第一とならせ給い法華経にて光明如来と名をさづけられさせ給うと天台大師・文句の第一にしるされて候。 かれをもつて此れをあんずるに迦葉尊者の麦のはんは・いみじくて光明如来とならせ給う、今のだんなの白麦は・いやしくて仏にならず候べきか、在世の月は今も月・在世の花は今も花・むかしの功徳は今の功徳なり、その上・上一人より下万民までに・にくまれて山中にうえしにゆべき法華経の行者なり、これをふびんとをぼして山河をこえわたり・をくりたびて候御心ざしは麦にはあらず金なり・金にはあらず法華経の文字なり、我等が眼にはむぎなり・十らせつには此のむぎをば仏のたねとこそ御らん候らめ、阿那律がひゑのはんはへんじてうさぎとなる、うさぎ・へんじて死人となる・死人へんじて金となる・指をぬきてうりしかば又いできたりぬ、王のせめのありし時は死人となる、かくのごとく・つきずして九十一劫なり、釈まなんと申せし人の石をとりしかば金となりき、金ぞく王は、いさごを金となし給いき。 今のむぎは法華経のもんじなり、又は女人の御ためには・かがみとなり・身のかざりとなるべし、男のためには・よろひとなり・かぶととなるべし、守護神となりて弓箭の第一の名をとるべし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。 このよの中は・いみじかりし時は何事かあるべきとみえしかども・当時はことにあぶなげに・みえ候ぞ、いかなる事ありともなげかせ給うべからず、ふつとおもひきりてそりやうなんども・たがふ事あらば・いよいよ悦びとこそおもひて・うちうそぶきて・これへわたらせ給へ、所地しらぬ人もあまりにすぎ候ぞ、当時つくしへ・むかひて・なげく人人は・いかばかりとか・おぼす、これは皆日蓮を・かみのあなづらせ給いしゆへなり。