同志と共に

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庵室修復書あんじつしゅふくしょ

去文永十一年六月十七日に・この山のなかに・きをうちきりて・かりそめにあじちをつくりて候いしが・やうやく四年がほど・はしらくちかきかべをち候へども・なをす事なくて・よるひを・とぼさねども月のひかりにて聖教をよみまいらせ・われと御経をまきまいらせ候はねども・風をのづから・ふきかへし・まいらせ候いしが、今年は十二のはしら四方にかふべをなげ・四方のかべは・一そにたうれぬ、うだいたもちがたければ・月はすめ雨はとどまれと・はげみ候いつるほどに・人ぶなくして・がくしやうどもをせめ・食なくして・ゆきをもちて命をたすけて候ところに・さきに・うへのどのよりいも二駄これ一だは・たまにもすぎ。大白牛車書建治三年十二月十七日五十六歳御作 与南条七郎次郎夫れ法華経第二の巻に云く「此の宝乗に乗り直ちに道場に至る」と云云、日蓮は建長五年四月二十八日初めて此の大白牛車の一乗法華の相伝を申し顕はせり、而るに諸宗の人師等・雲霞の如くよせ来り候、中にも真言・浄土・禅宗等・蜂の如く起りせめたたかふ、日蓮大白牛車の牛の角最第一なりと申してたたかふ、両の角は本迹二門の如く二乗作仏・久遠実成是なり、すでに弘法大師は法華最第一の角を最第三となをし・一念三千・久遠実成・即身成仏は法華に限れり・是をも真言の経にありとなをせり、かかる謗法の族を責めんとするに返つて弥怨をなし候、譬えば角を・なをさんとて牛をころしたるが如くなりぬべく候ひしかども・いかでさは候べき。 抑此の車と申すは本迹二門の輪を妙法蓮華経の牛にかけ、三界の火宅を生死生死とぐるり・ぐるりとまはり候ところの車なり、ただ信心のくさびに志のあぶらをささせ給いて霊山浄土へまいり給うべし、又心王は牛の如し・生死は両の輪の如し、伝教大師云く「生死の二法は一心の妙用・有無の二道は本覚の真徳なり」云云、天台云く「十如は只是れ乃至今境は是れ体」と云云、此の文釈能能案じ給うべし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。