かゆへに大国の王は民ををやとし・民は食を天とすとかかれたり、食には三の徳あり、一には命をつぎ・二にはいろをまし・三には力をそう、人に物をほどこせば我が身のたすけとなる、譬へば人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし、悪をつくるものを・やしなへば命をますゆへに気ながし、色をますゆへに眼にひかりあり、力をますゆへに・あしはやく・てきく、かるがゆへに食をあたへたる人・かへりて・いろもなく気もゆわく・力もなきほうをうるなり。 一切経と申すは紙の上に文字をのせたり、譬へば虚空に星月のつらなり・大地に草木の生ぜるがごとし、この文字は釈迦如来の気にも候なり、気と申すは生気なり・この生気に二あり、一には九界。
一定と証伏せられ候いしかば・其の後の智人かずをしらず候へども・今に四百歳が間さで候なり、かるがゆへに今に日本国の寺寺・一万余三千余の社社・四十九億九万四千八百二十八人の一切衆生・皆彼の三大師の御弟子となりて法華最第一の経文最第二最第三とをとされて候なり、されども始は失なきやうにて候へども・つゆつもりて大海となり・ちりつもりて大山となる。