同志と共に

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念仏無間地獄抄ねんぶつむけんじごくしょう

念仏は無間地獄の業因である。法華経は成仏得道の直路である。早く浄土宗を捨てて法華経を持ち、生死の苦しみを離れ菩提を得るべきである。
この事は法華経第二譬喩品にこうある。
「若人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん、其の人命終して阿鼻獄に入らん、一劫を具足して劫尽きなば更生れん、是くの如く展転して無数劫に至らん(もし人が信じないでこの経の悪口を言えば、それは一切の世間の仏の種を断つことになるだろう。そしてその人は命が終われば阿鼻地獄に堕ちるだろう。長い年月そこにずっといることとなり、その年数が尽きてもまたそこに生まれるだろう。このようにぐるぐると地獄をめぐり、数え切れない年月に至るだろう)」
この文のとおりであるならば、方便の念仏を信じて真実の法華を信じない者は無間地獄に堕ちるだろう。
念仏者は言う。
私たちの機根が法華経に及ばない間は信じないだけである。毀謗する事はない。何の科によって地獄に堕ちるべきであるのか。
法華宗は言う。
信じないということは承伏するということか。
そして毀謗というのは即ち不信である。「信は道の源であり功徳の母」と説かれている(華厳経)。
菩薩の五十二位では十信を基本とし、十信の位では信心を第一とし、諸の悪業・煩悩は不信を根本とするという。
したがって譬喩品の十四誹謗も不信を本質としている。
今の念仏門は不信といい、誹謗といい、どうして「入阿鼻獄」の苦を逃れることができるだろう。
そのうえ、浄土宗では現在の父である教主釈尊を捨てて、他人である阿弥陀仏を信じているので、五逆罪の咎によって必ず無間大城に堕ちるだろう。
法華経で「今この三界はすべて私の所有するものである」と説かれているのは、主君の義である。
その中の「衆生はことごとく我が子」というのは、父子の義である。
「而るに今此の処は諸の患難多し、唯我一人能く救護を為す(しかも今このところはさまざまな心配や難が多い。ただ私一人だけが救い護ることができる)」と説かれているのは師匠の義である。
加えて釈尊の付属の文には、「此法華経をば付属有在(この法華経に付属して後世に留めておこうと欲しておられる)」とある。何れの機根が漏れるというのか。誰が信じられないというのか。
ところが、浄土宗は主師親である教主釈尊の付属に背き、他人である西方極楽世界の阿弥陀如来をよりどころにしている。そのため主に背く八逆罪の凶徒となるのである。違勅の咎は遁れ難い。即ち朝敵である。どうして咎が無いことがあろうか。
次に父の釈尊を捨てる故に五逆罪の者である。どうして無間地獄に堕ちないことがあろうか。
次に師匠の釈尊に背く故に七逆罪の人である。どうして悪道に堕ちないことがあろうか。
このように教主釈尊は娑婆世界の衆生にとって、主師親の三徳を備えた大恩の仏でおられるのである。
この仏を捨てて他方の仏を信じ、阿弥陀や薬師や大日等を信じる人は二十逆罪の咎によって悪道に堕ちるのである。
浄土の三部経とは、釈尊一代の五時の説教の内の第三方等部の内より出ている。この四巻三部の経は全く釈尊の本意ではない。三世の諸仏の出世の本懐でもない。ただしばらく衆生を誘引するための方便である。たとえば塔を組む際に足場を組むようなものである。足場であり、法華は宝塔である。法華経を説くまでの方便である。法華経という塔を説かれた後は、念仏という足場を切り捨てるべきである。
ところが、法華経を説かれた後念仏に執着するのは、塔を組み立てた後も足場に執着して、塔を用いない人のようなものである。どうして違背の罪が無いことがあろうか。
したがって法華経の序分である無量義経に「四十余年未顕真実(四十年余りは真実を未だ顕さなかった)」と説いて念仏の法門を打ち破られたのである。
また、正宗法華経には「正直捨方便・但説無上道(正直に方便をすてて、但無上道を説く)」と宣べられて、念仏三昧を捨てられた。これによって阿弥陀経の対告衆の長老・舎利弗尊者は、阿弥陀経を打ち捨てて法華経に帰伏し、華光如来と成られたのである。
四十八願を付属された阿難尊者も、浄土の三部経を抛ナゲウって法華経を受持し、山海慧自在通王仏と成られたのである。阿弥陀経の長老である舎利弗は、千二百の羅漢の中では智慧第一の上首の大声聞であり、閻浮提第一の大智者であった。肩を並べる人はいなかった。阿難尊者は多聞第一の極聖であり、釈尊一代の説法を暗誦するほどの広学の智人であった。
このような最上の位の大阿羅漢でさえ、なお往生成仏の望みを遂げられなかった。仏が在世の時代の祖師でさえこの通りである。祖師の跡を踏むならば、三部経を抛って法華経を信じ、無上菩提を成ずるべきものである。
仏滅後においては、祖師や先徳が多いといえども、大唐・楊州の善導和尚に勝る人はいない。唐土第一の高祖といわれている。はじめは楊州の明勝という聖人を師として法華経を習ったが、道綽禅師にあって浄土宗に移り、法華経を捨てて念仏者と成った。一代聖教において聖道と浄土の二門を立てた。法華経等の諸大乗経を聖道門と名づけ、自力の行と嫌った。
(それを受けて善導は)「聖道門を修行して成仏を願う人は百人の内、まれに一人・二人、千人の内、まれに三人・五人は得道する者もあるだろう。(中略)千人に一人も得道しないという事もあるだろう。観経等の三部経は浄土門と名づけ、この浄土門を修行して他力本願を憑タノんで往生を願う者は"十即十生百即百生"といって、十人が十人、百人が百人必ず往生する」と念仏をすすめた。
また、観無量寿経を依経として四巻の疏を作った。玄義分・序分義・定善義・散善義である。そのほか法事讃上下・般舟讃・往生礼讃・観念法門経等を九帖の疏と名づけた。
善導が念仏を称えると、口から仏が出てくるといって、称名念仏一遍を称えると三体ずつ口より出てくると伝えられている。毎日の所作として、阿弥陀経六十巻・念仏十万遍を欠かさなかった。多くの戒品を持って一戒も破らず、三依は身の皮のように脱ぐ事がなく、鉢ビョウは両眼のように身から離さず、精進して身心を清浄にした。女性を見ないで一生を過ごし、不眠三十年なりと自賛した。
さて善導の行儀法則はというと、酒や肉・五辛を制止して、口に噛まず手に取らずに、未来の多くの僧もこのように修行するべしと定めた。一度でも酒を飲み、肉を食べ、五辛[にんにく・にら・ねぎ・らっきょう・のびる]等を食べると、念仏を称える者は三百万劫の間地獄に堕ちるだろうと禁しめた。善導が行儀・法則は本律の制より過ぎると、法然房は起請文にも書いて載せている。
世界中の人々が善導和尚を仏道修行へ導く人と仰ぎ、身分の高い人から一般庶民まですべてが念仏者となってしまった。しかし、一代聖教の中の大王であり三世の諸仏の出世の本懐である法華経の文にこう説かれている。
「もし法を聞くことが有る者は、一人として仏にならないものはない」
善導は法華経を行じる者は、千人中一人も得道する者はいないと定めている。
無量義経では念仏は「未顕真実」といって真実ではないといっている。
法華経では「正直捨方便但説無上道」といって、正直に念仏の観経を捨てて、無上道である法華経を持ちなさいといっている。
この二つの説は水と火である。どちらの説を信じるべきなのか。
善導の言葉を信じて法華経を捨てるべきなのか、法華経を信じて善導の主張を切り捨てるべきなのか。
「一切衆生皆成仏道」が法華経であり、ひとたび法華経を聞けば必ず菩提を成じるという妙典が、善導の一言に破れて"千中無一・虚妄の法"と成り、無得道教といわれ、平等大慧の巨益は虚妄と成り、多宝如来の「皆是真実」という証明のお言葉は妄語と成ってしまうのか。
十方世界の多くの仏の上至である梵天の広長舌も破られた。三世の諸仏の大怨敵となり、十方世界の如来が成仏した種子を失わせる大謗法の科は甚だ重い。大罪報の至りであり無間地獄に堕ちる業因である。
この罪によってたちまち物に狂ったのか、住んでいた寺の前の柳の木に登り、自ら首をくくって身を投げて死んでしまった。邪法のたたりは踵を回さず、冥罰をここに見たのである。
最後臨終の言葉は、"この身を厭うべし。多くの苦に責められ、暫くも休息は無い"であった。そして住居の寺の前の柳の木に登り、西に向って願って言った。"仏の威神をもって我を受け取り、観音・勢至が来たってまた我を扶けたまえ"と。唱え終わると青柳の上から身を投げて自ら絶ったという。
三月十七日、首をくくって飛んだのであるが、くくっていた縄が切れて柳の枝が折れ、大旱魃の堅い土の上に落ちて腰骨を折り、二十四日に至るまでの七日七夜の間悶絶して地をはいまわり、呻き叫びながら死んでいった。
そのためにこれほどの高祖であるが、往生を遂げた人の中には入れられなかったという。
このことは全く他宗を誹謗しているのではない。法華宗の妄語でもない。善導和尚自筆の類聚伝ルイジユデンの文であるという。しかも流れを酌む者はその源を忘れず、法を行ずる者はその師の跡を踏むべきであるといわれる。浄土門に入って師の跡を踏むべきならば、臨終の時は善導のように自害するべきであろう。念仏者として首をくくらなければ、師に背く咎があるのではないか。
日本国では法然上人が浄土宗の高祖である。十七歳にして一切経を習い極めて天台六十巻にも渡った。八宗を兼学して一代聖教の大意を得たと噂をされた。天下無雙の智者であり比叡山第一の学匠といわれた。
ところが、天魔がその身に入った。広学多聞の智慧も空しく、諸宗の頂上である天台宗を打ち捨てて、八宗の外である念仏者の法師と成ってしまった。大臣・公卿の身を捨てて民百姓と成るようなものである。
選択集という文を作って、一代五時の聖教を非難して破折し、念仏往生の一門を立てた。
仏説法滅尽経にこうある。
「五濁悪世には魔道興盛し魔沙門と作つて我が道を壊乱し悪人転た海中の沙の如く善人甚だ少くして若は一人若は二人ならん(五濁の盛んな悪い世の中には、魔道が盛んに興る。魔が沙門となって我が道を壊乱し、悪人が甚だしく海中の砂のように多くなる。善人は甚だ少なくなって、一人か二人となる)
即ち法然房がこれであると比叡山の状に書かれている。
自分の浄土宗の専修の一行を五種の正行と定め、権実顕密の諸大乗を五種の雑行と排斥して、浄土門の正行だけを善導のように極楽浄土へ必ず往生できると勧めた。
観経等の浄土の三部経以外は、一代顕密の始め諸大乗経・大般若経より、終りは法常住経に至るまで、貞元録に載せる六百三十七部・二千八百八十三巻は、"すべてこれは千中無一の無用の物であり、永く得道できない"とし、難行・聖道門の門を閉じて抛ち閣き捨てて浄土門に入るべきであると勧めた。
国中の貴賤が首を傾け、全国の道俗は掌を合わせ、勢至の化身と呼んだり、善導の再誕と仰いだ。日本全国になびかない木や草はなくなった。智慧は日月のようであり、世間を照らして肩を並べる人はない。名徳は日本に充ちて善導を超え、曇鸞・道綽にも勝った。貴賤・上下すべてが選択集は仏法の明鏡であると思い、道俗・男女はことごとく法然房を生身の阿弥陀と仰いだ。
しかしながら、恭敬・供養する者は愚癡で迷惑の在俗の人であり、帰依・渇仰する人は無智で放逸の邪見の輩である。権力者はこれを用いず、賢哲もまたこれに随うことはなかった。
そのとき、斗賀尾の明慧房は[天下無雙の智人・広学多聞の明匠である]、摧邪輪三巻を著して選択集の邪義を破し、三井寺の長吏・実胤ジツイン大僧正は[希代の学者・名誉の才人である]、浄土決疑集三巻を著して専修の悪行を難じ、比叡山の住侶・仏頂房・隆真法橋は[天下無雙の学匠・山門探題の棟梁である]、弾選択上下を著して法然房の邪義を責めた。
それだけではなく、南都・山門・三井より度々奏聞を経て法然の選択の誤った主張は亡国の基であるとの旨を訴えたことにより、人王八十三代・土御門院の時代・承元元年二月上旬に専修念仏の張本人である安楽・住蓮等を召し捕え、たちまちに首を刎ねた。法然房源空は遠流の重科に沈んだ。
その時の摂政左大臣家実というのは近衛殿の事である。この事は皇代記に見えている。誰がこれを疑うことができようか。
それだけではなく、法然房死去の後もまた重ねて比叡山から訴えたことによって、人王八十五代・後堀河院の時代・嘉禄三年に京都六ケ所の本所より法然房の選択集・並びに印版を責め出して、大講堂の庭に取り上げ、三千人の大衆が会合し三世の仏恩を報じるためにこれを焼き捨て、法然房の墓所は犬神人に仰せ付けてこれを掘り出して鴨川に流してしまった。
宣旨・院宣・関白殿下の御教書が五畿・七道に下されて、六十六ケ国に念仏の行者を一日片時も置いてはならない、対馬の島に追いやるように、との旨が諸国の国司に命じられた。これらのなりゆきは両六波羅の注進状・関東相模守の請文等にはっきりと存在する。
嘉禄三年七月五日に山門に下された宣旨
専修念仏の行は諸宗衰微の基である。これによって代々の天皇はしきりに厳旨を降され、とくに禁遏キンアツを加えるものである。ところが、近頃また興行を構え、山門に訴えを申させ、先符にしたがって仰せ下されることは先のとおりである。
そのうえ一方では仏法の陵夷[衰えて廃ること]を禁じるため、一方では衆徒の欝訴をやわらげるために、その根本である隆寛・成覚・空阿弥陀仏等の身を遠流に処す可きであるとの旨が近日中に宣下されるであろう。残党に於いてはその在所を尋ね捜して帝土から追却すべきである。このうえは早く愁訴を安んじて蜂起を停止すべきとの旨・時刻を回らさず御下知いただきたい。天皇の仰せは以上の通りである。頼隆・誠恐・頓首謹言。
七月五日酉刻 右中弁頼隆奉わる進上 天台座主大僧正御房政所
同七月十三日山門に下さるる宣旨
専修念仏興行の輩を停止すべき旨、五畿七道に宣下し終えた。御存知有るように。天皇の仰せは以上の通りである。これをよく理解するように。頼隆・誠恐・頓首謹言。
七月十三日 右中弁頼隆奉わる
進上 天台座主大僧正御房政所
殿下御教書
専修念仏の事、五畿七道に命じて永く停止させるべきとの旨、先日宣下され終えた。ところが諸国にまだその聞こえが有る。宣旨の状を守って処置していただくべきよう、地頭・守護所等に命令していただきたいと、山門より訴えが出ている。御存知有るように。この旨をもって命令するようにとの由・殿下の御要望である。よって執達は以上である。
嘉禄三年十月十日 参議範輔在り判
武蔵守殿
永尊竪者の状に、
「この十一日に大衆が詮議した結果、法然房所造の選択集は謗法の書であり天下にこれを止どめ置いてはならないということになった。よって、各地で所持されている選択集並びにその印板を大講堂に取り上げて、三世の仏恩を報じるために焼失させ終えた。また、法然上人の墓所を感神院の犬神人に命令して破却させ終えた。
嘉禄三年十月十五日
隆真法橋は、専修念仏は亡国の根本であることは文証理証に明らかであると言っている。
山門より雲居寺に送る状に、邪師源空は存生の間は永く流罪となり、滅後の今はまた死骨を刎ねられ、その邪類である、住蓮・安楽は原野で死刑となり、成覚・薩生は遠流の刑を蒙った。
殆んどこれらの現罰をもってその死後の報いを察すべきである」とある。
嗚呼、世間の法のからいえば、天皇の命令に背く者となり、帝王の勅命による処罰を蒙り、今だ赦免される気配は無い。心ある家来や人々であるなら、誰がかの宗に対して布施・供養をするだろうか。
仏法のうえからいえば、正法を誹謗する罪人であり、無間地獄の業因をつくる類である。誰が念仏門に対して恭敬・礼拝をしてよいだろうか。願わくば、末法の時代に今の浄土宗は、仏が在世の時の祖師である舎利弗・阿難等のように、浄土宗を抛って法華経を持タモち、菩提の本来の志を遂げるべきではないか。