同志と共に

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建長寺道隆への御状けんちょうじどうりゅうへのごじょう

仏閣は軒を並べ法門は屋根を支えるほど仏法が繁栄することは、インドや中国を超えるほどであり、僧宝の形儀は六神通の阿羅漢のようである。しかしながら一代諸経における勝劣・浅深を知らないことはあたかも禽獣と同じである。現に三徳の釈迦如来を抛って、他方の仏・菩薩を信じていることがどうして逆路伽耶陀の者でないといえよう。念仏は無間地獄の業であり、禅宗は天魔の所為であり、真言は亡国の悪法であり、律宗は国賊の妄説である。そこで日蓮は去る文応元年のころに勘えた書を立正安国論と名づけ、宿屋入道を通じて故最明寺殿に奉った。この書は要するに念仏・真言・禅・律等の悪法を信じるために天下に災難が頻発し、さらに他国よりこの国が責められるであろうと勘えたのである。ところで去る正月十八日牒状が到来したという。日蓮が勘えた所に少しも違わず符号した。諸寺・諸山の祈祷の威力が滅したからであろうか。はたまた悪法のためであろうか。鎌倉中の上下・万人は道隆聖人を仏のように仰ぎ、良観聖人ば羅漢のように尊む。そのほかにも寿福寺・多宝寺・浄光明寺・長楽寺・大仏殿の長老等は「我慢の心が充満し、未だ得ていないのに得たと思っている」増上慢の大悪人である。どうして蒙古国の大兵を調伏することができるだろう。そればかりか日本国中の上下万人はことごとく生け捕りとなり、今世では国を亡ぼし後世には必ず無間地獄に堕ちる。日蓮が申す事を用いなければ後悔するであろう。この趣を鎌倉殿・宿屋入道殿・平左衛門尉殿等へ進状させていただいた。一か所に寄り集まって御評議していただきたい。あえて日蓮が私曲の義ではない。ただ経論の文を根拠としている。詳しくは紙面に載せ難いので対決の時を期する。書では言を尽くせず言では心を尽くせない。恐恐謹言。