同志と共に

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聖人知三世事しょうにんちさんせじ

聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云う、儒家の三皇・五帝並びに三聖は但現在を知つて過・未を知らず外道は過去八万・未来八万を知る一分の聖人なり、小乗の二乗は過去・未来の因果を知る外道に勝れたる聖人なり、小乗の菩薩は過去三僧祇菩薩、通教の菩薩は過去に動踰塵劫を経歴せり、別教の菩薩は一一の位の中に多倶低劫の過去を知る、法華経の迹門は過去の三千塵点劫を演説す一代超過是なり、本門は五百塵点劫・過去遠遠劫をも之を演説し又未来無数劫の事をも宣伝し、之に依つて之を案ずるに委く過未を知るは聖人の本なり、教主釈尊既に近くは去つて後三月の涅槃之を知り遠くは後五百歳・広宣流布疑い無き者か、若し爾れば近きを以て遠きを推し現を以て当を知る如是相乃至本末究竟等是なり。 後五百歳には誰人を以て法華経の行者と之を知る可きや予は未だ我が智慧を信ぜず然りと雖も自他の返逆・侵逼之を以て我が智を信ず敢て他人の為に非ず また、我が弟子たちもこれを存知しなさい。日蓮は法華経の行者である。不軽菩薩の跡を紹継しているために、軽毀する人は頭が七つに破れ、信じる者は福を安明に積むであろう。 問うて言う。どうしてあなたを毀(そし)る人は頭が七つに割れないのか。 答えて言う。古い昔の聖人は仏を除いて已外にこれを毀(そし)る人は、頭が破れたのはただ一人か二人である。今日蓮を毀呰(きし)するものは一人や二人に限らない。日本一国が、一同に破れているのである。いわゆる正嘉の大地震や文永の長星は誰のために起きたのか。日蓮は一閻浮提第一の聖人である。上一人より下万民に至るまで、この日蓮を軽毀して、刀杖を加えたり流罪にしているため、梵天や帝釈天、日月・四天などが隣国に仰せ付けて、この謗法を逼責しているのである。大集経や仁王経、涅槃経や法華経に説かれている通りである。 たとえ万祈を作(な)すとも日蓮を用いないなら、必ずこの国は今の壱岐・対馬のようになるであろう。我が弟子たちよ。仰いでこれを見よ。これは偏(ひとえ)に日蓮が貴尊であるからではなく、法華経の御力が殊に優れているからである。 わが身を挙げれば慢心していると思い、身を下せば法華経を蔑る。松が高ければ藤は長く、源が深ければ流れは遠い。幸なるかな、楽しいかな。穢土において喜楽を受けるのはただ日蓮一人のみである。