1 日蓮大聖人御書現代語訳

同志と共に

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四条金吾殿御消息しじょうきんごどのごしょうそく

度度の御音信申しつくしがたく候、さても・さても去る十二日の難のとき貴辺たつのくちまで・つれさせ給い、しかのみならず腹を切らんと仰せられし事こそ不思議とも申すばかりなけれ、日蓮過去に妻子・所領・眷属等の故に身命を捨てし所いくそばくか・ありけむ、或は山にすて海にすて或は河或はいそ等・路のほとりか、然れども法華経のゆへ題目の難にあらざれば捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず、成仏のためならざれば捨てし海・河も仏土にもあらざるか。 今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ、流罪は伊東・死罪はたつのくち・相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ仏土におとるべしや、其の故は・すでに法華経の故なるがゆへなり、経に云く「十方仏土中唯有一乗法」と此の意なるべきか、此の経文に一乗法と説き給うは法華経の事なり、十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり除仏方便説と見えたり、若し然らば日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか、娑婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか、神力品に云く「若於林中若於園中若山谷曠野是中乃至而般涅槃」とは是か。 かかる日蓮にともなひて法華経の行者として腹を切らんとの給う事かの弘演が腹をさいて主の懿公がきもを入れたるよりも百千万倍すぐれたる事なり、日蓮・霊山にまいりて・まづ四条金吾こそ法華経の御故に日蓮とをなじく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ、又かまくらどのの仰せとて内内・佐渡の国へ・つかはすべき由承り候、三光天子の中に月天子は光物とあらはれ竜口の頚をたすけ、明星天子は四五日已前に下りて日蓮に見参し給ふ、いま日天子ばかりのこり給ふ定めて守護あるべきかとたのもしたのもし、法師品に云く「則遣変化人為之作衛護」疑あるべからず、安楽行品に云く「刀杖不加」普門品に云く「刀尋段段壊」此等の経文よも虚事にては候はじ、強盛の信力こそありがたく候へ、恐恐謹言。