1 日蓮大聖人御書現代語訳

同志と共に

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四条金吾殿御返事しじょうきんごどのごへんじ

此経難持[法華経を持つことは難しい]の事について、弁阿闍梨[日昭]が言っています。あなたがこのように言っていたとのことです。
「法華経を持つ者は現世安穏・後生善処と伺い、今まで去年より今日まで模範通り信心をしてきました。ところがそのようにならずに、大難が雨が降るように次々に起こってきました」
これは真実でしょうか、それとも弁公の報告が誤っているのでしょうか。
いずれにせよ、よいついでですので不審をはらしましょう。
法華経の文に「難信難解」と説かれているのはこのことです。この経を聞いて受ける人は多い。しかし本当に聞いて受けたとおりに大難が来たとき、憶持不忘の人(法華経を心にとどめて持ち続け、忘れることのない人)は希なのです。
受けることは易しく、持つことは難しいのです。
そうであるから、成仏は持ち続けることにあります。この経を持つ人は難に値うものなのだと心得て持つべきなのです。
「則為疾得・無上仏道[すなわち速やかに無上の仏道を得る]」は疑いありません。
三世の諸仏の大事である南無妙法蓮華経を念じ続けることを「持」というのです。経には「護持仏所属[仏から託された法ほ護持する]」と説かれています。天台大師は「信じる力の故に受け、念じる力の故に持つ」と述べています。また「この経は持ち難い。もし少しの間でも持つ者は、『私は必ず歓喜する。諸仏もまた同様である』」と法華経に説かれています。
火にたきぎを加えれば(火は)盛んになる。大風が吹けば求羅[仏典に説かれる想像上の生き物]は倍の大きさになる。松は万年の樹齢を持つので枝を曲げる。法華経の行者は火と求羅のようであり、薪と風は大難にあたる。法華経の行者は久遠長寿の如来です。修行の枝を切られ曲げられることは疑いないのです。これより後は「此経難持」の四字を片時も忘れず心にとどめていきなさい。