同志と共に

トップページへ戻る

四条金吾御書しじょうきんごごしょ

鷹取のたけ・身延のたけ・なないたがれのたけ・いいだにと申し、木のもと・かやのね・いわの上・土の上いかにたづね候へども・をひて候ところなし、されば海にあらざれば・わかめなし・山にあらざれば・くさびらなし、法華経にあらざれば仏になる道なかりけるか・これは・さてをき候いぬ、なによりも承りて・すずしく候事は・いくばくの御にくまれの人の御出仕に人かずに・めしぐせられさせ給いて、一日・二日ならず御ひまもなきよし・うれしさ申すばかりなし、えもんのたいうのをやに立ちあひて上の御一言にてかへりてゆりたると殿のすねんが間のにくまれ・去年のふゆはかうとききしに・かへりて日日の御出仕の御とも・いかなる事ぞ、ひとへに天の御計い法華経の御力にあらずや、其の上円教房の来りて候いしが申し候は、えまの四郎殿の御出仕に御ともの・さふらい二十四・五其の中にしうはさてをきたてまつりぬ、ぬしのせいといひ・かをたましひ・むま下人までも中務のさえもんのじやう第一なり、あはれをとこや・をとこやと・かまくらわらはべは・つじちにて申しあひて候しとかたり候。 これに・つけてもあまりにあやしく候、孔子は九思一言・周公旦は浴する時は三度にぎり食する時は三度はかせ給う、古の賢人なり今の人のかがみなり、されば今度はことに身をつつしませ給うべし、よるはいかなる事ありとも一人そとへ出でさせ給うべからず、たとひ上の御めし有りともまづ下人をこそへ・つかわして、なひなひ一定を・ききさだめて・はらまきをきて・はちまきし、先後・左右に人をたてて出仕し御所のかたわらに・心よせの・やかたか又我がやかたかに・ぬぎをきて・まいらせ給うべし、家へかへらんにはさきに人を入れてとのわきはしのしたむまやのしり・たかどの一切くらきところを・みせて入るべし・せうまうには我が家よりも人の家よりもあれ・たからを・をしみてあわてて火をけすところへ・づつとよるべからず、まして走り出る事なかれ、出仕より主の御ともして御かへりの時はみかどより馬より・をりて、いとまの・さしあうよし・はうくわんに申して・いそぎかへるべし、上のををせなりとも・よに入りて御ともして御所に・ひさしかるべからず、かへらむには第一・心にふかき・えうじんあるべし、ここをば・かならず・かたきの・うかがうところなり。 人のさけたばんと申すともあやしみて・あるひは言をいだし・あるひは用いることなかれ、又御をととどもには常はふびんのよしあるべし、つねにゆせにざうりのあたいなんど心あるべし、もしやの事のあらむには・かたきはゆるさじ、我がために・いのちをうしなはんずる者ぞかしと・をぼして、とがありとも・せうせうの失をば・しらぬやうにてあるべし、又女るひはいかなる失ありとも一向に御けうくんまでも・あるべからず、ましていさかうことなかれ、涅槃経に云く「罪極て重しと雖も女人に及ぼさず」等云云、文の心はいかなる失ありとも女のとがををこなはざれ、此れ賢人なり此れ仏弟子なりと申す文なり、此の文は阿闍世王・父を殺すのみならず母をあやまたむと・せし時・耆婆・月光の両臣がいさめたる経文なり、我が母心ぐるしくをもひて臨終までも心にかけし・いもうとどもなれば失を・めんじて不便というならば母の心やすみて孝養となるべしと・ふかくおぼすべし、他人をも不便というぞかし・いわうや・をとをとどもをや、もしやの事の有るには一所にて・いかにもなるべし、此等こそとどまりゐてなげかんずれば・をもひでにと・ふかくをぼすべし、かやう申すは他事はさてをきぬ、雙六は二ある石はかけられず、鳥の一の羽にてとぶことなし、将門さだたふがやうなりし・いふしやうも一人は叶わず、されば舎弟等を子とも郎等とも・うちたのみて・をはせば、もしや法華経もひろまらせ給いて世にもあらせ給わば一方のかたうどたるべし。 すでに・きやうのだいり院のごそかまくらの御所・並に御うしろみの御所・一年が内に二度・正月と十二月とにやけ候いぬ、これ只事にはあらず謗法の真言師等を御師とたのませ給う上かれら法華経をあだみ候ゆへに天のせめ法華経・十羅刹の御いさめあるなり、かへりて大ざんげあるならば・たすかるへんも・あらんずらん、いたう天の此の国ををしませ給うゆへに大なる御いさめあるか、すでに他国が此の国をうちまきて国主・国民を失はん上仏神の寺社・百千万がほろびんずるを天眼をもつて見下して・なげかせ給うなり、又法華経の御名をいういうたるものどもの唱うるを誹謗正法の者どもが・をどし候を天のにくませ給う故なり。 あなかしこ・あなかしこ、今年かしこくして物を御らんぜよ、山海・空市まぬかるところあらば・ゆきて今年はすぎぬべし、阿私陀仙人が仏の生れ給いしを見て、いのちををしみしがごとし・をしみしがごとし、恐恐謹言。