同志と共に

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四条金吾殿御返事しじょうきんごどのごへんじ

銭一貫文給いて頼基がまいらせ候とて法華経の御宝前に申し上げて候、定めて遠くは教主釈尊・並に多宝・十方の諸仏・近くは日月の宮殿にわたらせ給うも御照覧候ぬらん、さては人のよに・すぐれんとするをば賢人・聖人と・をぼしき人人も皆そねみ・ねたむ事に候、いわうや常の人をや、漢皇の王昭君をば三千のきさき是をそねみ帝釈の九十九億那由佗のきさきは〓尸迦をねたむ、前の中書王をば・をのの宮の大臣是をねたむ、北野の天神をば時平のおとど是をざんそうして流し奉る、此等をもて・をぼしめせ、入道殿の御内は広かりし内なれども・せばくならせ給いきうだちは多くわたらせ給う、内のとしごろの人人・あまたわたらせ給へば池の水すくなくなれば魚さわがしく秋風立てば鳥こずえをあらそう様に候事に候へば、いくそばくぞ御内の人人そねみ候らんに度度の仰せをかへし・よりよりの御心にたがはせ給へばいくそばくのざんげんこそ候らんに、度度の御所領をかへして今又所領給はらせ給うと云云、此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり。 我が主に法華経を信じさせまいらせんと・をぼしめす御心のふかき故か、阿闍世王は仏の御怨なりしが耆婆大臣の御すすめによつて法華経を御信じありて代を持ち給う、妙荘厳王は二子の御すすめによつて邪見をひるがへし給う、此れ又しかるべし貴辺の御すすめによつて今は御心も・やわらがせ給いてや候らん・此れ偏に貴辺の法華経の御信心のふかき故なり、根ふかければ枝さかへ源遠ければ流長しと申して一切の経は根あさく流ちかく法華経は根ふかく源とをし、末代・悪世までも・つきず・さかうべしと天台大師あそばし給へり、此の法門につきし人あまた候いしかども・をほやけわたくしの大難・度度重なり候いしかば一年・二年こそつき候いしが後後には皆 或はをち或はかへり矢をいる、或は身はをちねども心をち或は心は・をちねども身はをちぬ。 釈迦仏は浄飯王の嫡子・一閻浮提を知行する事・八万四千二百一十の大王なり・一閻浮提の諸王・頭をかたぶけん上御内に召しつかいし人十万億人なりしかども十九の御年・浄飯王宮を出でさせ給いて檀特山に入りて十二年、其の間御ともの人五人なり、所謂拘鄰と〓〓と跋提と十力迦葉と拘利太子となり、此の五人も六年と申せしに二人は去りぬ残りの三人も後の六年にすて奉りて去んぬ、但一人残り給うてこそ仏にはならせ給いしか、法華経は又此れにもすぎて人信じがたかるべし難信難解此れなり、又仏の在世よりも末法は大難かさなるべし、此れをこらへん行者は我が功徳には・すぐれたる事・一劫とこそ説かれて候へ、仏滅度後・二千二百三十余年になり候に月氏一千余年が間・仏法を弘通せる人・伝記にのせて・かくれなし、漢土一千年・日本七百年・又目録にのせて候いしかども仏のごとく大難に値える人人少し、我も聖人・我も賢人とは申せども況滅度後の記文に値える人一人も候はず、竜樹菩薩・天台・伝教こそ仏法の大難に値える人人にては候へども此等も仏説には及ぶ事なし、此れ即代のあがり法華経の時に生れ値はせ給はざる故なり。 今は時すでに後五百歳・末法の始なり、日には五月十五日・月には八月十五夜に似たり、天台・伝教は先に生れ給へり今より後は又のちぐへなり、大陣すでに破れぬ余党は物のかずならず、今こそ仏の記しをき給いし後五百歳・末法の初・況滅度後の時に当りて候へば仏語むなしからずば一閻浮提の内に定めて聖人出現して候らん、聖人の出ずるしるしには一閻浮提第一の合戦をこるべしと説かれて候にすでに合戦も起りて候にすでに聖人や一閻浮提の内に出でさせ給いて候らん、きりん出でしかば孔子を聖人としる鯉社なつて聖人出で給う事疑なし、仏には栴檀の木をひて聖人としる、老子は二五の文を蹈んで聖人としる、末代の法華経の聖人をば何を用つてかしるべき、経に云く「能説此経・能持此経の人・則如来の使なり」八巻・一巻・一品・一偈の人乃至題目を唱うる人・如来の使 なり、始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり。 日蓮が心は全く如来の使にはあらず凡夫なる故なり、但し三類の大怨敵にあだまれて二度の流難に値へば如来の御使に似たり、心は三毒ふかく一身凡夫にて候へども口に南無妙法蓮華経と申せば如来の使に似たり、過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり、現在を・とぶらうに加刀杖瓦石にたがう事なし、未来は当詣道場疑いなからんか、これをやしなはせ給う人人は豈浄土に同居するの人にあらずや、事多しと申せどもとどめ候心をもて計らせ給うべし。 ちごのそらうよくなりたり悦び候ぞ、又大進阿闍梨の死去の事・末代のぎばいかでか此れにすぐべきと皆人・舌をふり候なり、さにて候いけるやらん、三位房が事さう四郎が事・此の事は宛も符契符契と申しあひて候、日蓮が死生をば・まかせまいらせて候、全く他のくすしをば用いまじく候なり。