同志と共に

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根露枝枯御書こんろしこごしょ

三論宗も分別ならざる証文をもつて立てたりしかば・盲目の衆生に値うて誑惑せしかども・明眼の智者に値うて邪義顕れぬ、此れ即根露るれば枝枯れ源乾けば流竭く自然の道理なり、念仏宗・禅宗と真言とは其の根本謬〓を本とし誑惑を源とせり、其の根源顕れなば設い日蓮はいやしくとも天のはからひ大法流布の時来るならば・彼の悪法やぶれて此の真実の法立つ事疑なかるべし。 すでに此の悪法消えんとするは汝知るやいなや、日蓮をいやしみて・さんざんとするほどに〓〓。

南無御書なむごしょ

堂塔を造らず、布施も奉っていない。惜しむものは命だけである。これを法華経に奉ろうと思った。三世の仏は皆凡夫でおられた時、命を法華経に奉って仏になられた。この故に一切の仏のはじめには南無というのである。南無というのはインドの言葉である。この国では帰命という。
帰命というのは天台大師の釈にはこうある。
「命をもって自ら帰す」
(すべての仏は)命を法華経に奉って仏になられたのである。日蓮もこのたび命を法華経に奉って…[以下欠損]