同志と共に

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上野殿御書うえのどのごしょ

大海の一〓は五味のあぢわい・江河の一〓は一つの薬なり、大海の一〓は万種の瓦のごとし、南無阿弥陀仏は一河の一〓・南無妙法蓮華経は大海の一〓・阿弥陀経は小河の一てい・法華経の一乗は大海の一てい、故五郎殿の十六年が間の罪は江河の一てい、須臾の間の南無妙法蓮華経は大海の一ていのごとし、夫れ以れば華はつぼみさいて菓なる、をやは死にて子にになわる、これ次第なり。

上野殿御書うえのどのごしょ

南条七郎五郎殿の御死去の御事、人は生れて死するならいとは智者も愚者も上下一同に知りて候へば・始めてなげくべしをどろくべしとわをぼへぬよし・我も存じ人にもをしへ候へども・時にあたりて・ゆめか・まぼろしか・いまだわきまへがたく候、まして母のいかんがなげかれ候らむ、父母にも兄弟にも・をくれはてて・いとをしきをとこに・すぎわかれたりしかども・子ども・あまたをはしませば心なぐさみてこそ・をはしつらむ、いとをしき・てこご・しかもをのこご・みめかたちも人にすぐれ心も・かいがいしくみへしかば・よその人人も・すずしくこそみ候いしに・あやなく・つぼめる花の風にしぼみ・満つる月の・にわかに失たるがごとくこそをぼすらめ、まこととも・をぼへ候はねば・かきつくるそらも・をぼへ候はず、又又申すべし、恐恐謹言。 弘安三年九月六日日蓮花押 上野殿御返事 追申、此の六月十五日に見奉り候いしに・あはれ肝ある者かな男や男やと見候いしに・又見候はざらん事こそかなしくは候へ、さは候へども釈迦仏・法華経に身を入れて候いしかば臨終・目出たく候いけり、心は父君と一所に霊山浄土に参りて・手をとり頭を合せてこそ悦ばれ候らめ、あはれなり・あはれなり。