同志と共に

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南条殿御返事なんじょうどのごへんじ

蹲鴟一俵給び了んぬ。 又かうぬしのもとに候・御乳塩一疋・並びに口付一人候、さては故五郎殿の事は・そのなげきふりずとおもへども・御けさんは・はるかなるやうにこそ・おぼえ候へ、なをも・なをも・法華経をあだむ事は・たえつとも見え候はねば・これよりのちも・いかなる事か候はんずらめども・いままでこらへさせ給へる事まことしからず候、仏の説いての給はく火に入りて・やけぬ者はありとも・大水に入りてぬれぬものはありとも大山は空へ・とぶとも大海は天へあがるとも・末代悪世に入れば須臾の間も法華経は信じがたき事にて候ぞ。 徽宗皇帝は漢土の主じ・蒙古国に・からめとられさせ給いぬ、隠岐の法王は日本国のあるじ・右京の権大夫殿に・せめられさせ給いて・島にてはてさせ給いぬ、法華経のゆへにてだにも・あるならば即身に仏にもならせ給いなん、わづかの事には身をやぶり命をすつれども、法華経の御ゆへに・あやしのとがに・あたらんとおもふ人は候はぬぞ、身にて心みさせ給い候いぬらん、たうとし・たうとし、恐恐謹言。