同志と共に

トップページへ戻る

衆生身心御書しゅじょうしんしんごしょ

衆生の身心をとかせ給う・其の衆生の心にのぞむとて・とかせ給へば人の説なれども衆生の心をいでず、かるがゆへに随他意の経となづけたり、譬へばさけもこのまぬをやのきわめてさけをこのむいとをしき子あり、かつはいとをしみ・かつは心をとらんがために・かれにさけをすすめんがために・父母も酒をこのむよしをするなり、しかるを・はかなき子は父母も酒をこのみ給うとをもへり。 提謂経と申す経は人天の事をとけり、阿含経と申す経は二乗の事をとかせ給う、華厳経と申す経は菩薩のことなり、方等・般若経等は或は阿含経・提謂経ににたり、或は華厳経にもにたり、此れ等の経経は末代の凡夫これをよみ候へば仏の御心に叶うらんとは行者はをもへども・くはしく・これをろむずれば己が心をよむなり、己が心は本よりつたなき心なれば・はかばかしき事なし、法華経と申すは随自意と申して仏の御心をとかせ給う、仏の御心はよき心なるゆへに・たとい・しらざる人も此の経をよみたてまつれば利益はかりなし、麻の中のよもぎ・つつの中のくちなは・よき人にむつぶもの・なにとなけれども心も・ふるまひも・言も・なをしくなるなり、法華経もかくのごとし・なにとなけれども・この経を信じぬる人をば仏のよき物とをぼすなり、此の法華経にをひて又機により・時により・国により・ひろむる人により・やうやうにかわりて候をば・等覚の菩薩までも・このあわひをば・しらせ給わずとみへて候、まして末代の凡夫は・いかでか・ちからひををせ候べき。 しかれども人のつかひに三人あり、一人はきわめてこざかしき、一人ははかなくもなし・又こざかしからず、一人はきわめて・はかなくたしかなる、此の三人に第一はあやまちなし、第二は第一ほどこそ・なけれども・すこしこざかしきゆへに主の御ことばに私の言をそうるゆへに・第一のわるきつかいとなる、第三はきわめて・はかなくあるゆへに・私の言をまじへず・きわめて正直なるゆへに主の言ばを・たがへず、第二よりもよき事にて候・あやまつて第一にも・すぐれて候なり、第一をば月支の四依にたとう、第二をば漢土の人師にたとう、第三をば末代の凡夫の中に愚癡にして正直なる物にたとう。 仏在世はしばらく此れををく仏の御入滅の次の日より一千年をば正法と申す、この正法一千年を二つにわかつ、前の五百年が間は小乗経ひろまらせ給う、ひろめし人人は迦葉・阿難等なり、後の五百年は馬鳴・竜樹・無著・天親等・権大乗経を弘通せさせ給う、法華経をば・かたはし計りかける論師もあり、又つやつや申しいださぬ人もあり、正法一千年より後の論師の中には少分を仏説ににたれども多分をあやまりあり、あやまりなくして而もたらざるは迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親等なり、像法に入り一千年・漢土に仏法わたりしかば始めは儒家と相論せしゆへに・いとまなきかのゆへに仏教の内の大小・権実の沙汰なし、やうやく仏法流布せし上・月支より・かさねがさね仏法わたり来るほどに・前の人人は・かしこきやうなれども・後にわたる経論をもつて・みれば・はかなき事も出来す、又はかなくをもひし人人も・かしこくみゆる事もありき、結句は十流になりて千万の義ありしかば愚者はいづれに・つくべしともみへず、智者とをぼしき人は辺執かぎりなし、而れども最極は一同の義あり・所謂一代第一は華厳経・第二は涅槃経・第三は法華経・此の義は上一人より下万民にいたるまで異義なし、大聖とあうぎし法雲法師・智蔵法師等の十師の義一同なりしゆへなり。 而るを像法の中の陳隋の代に智〓と申す小僧あり後には智者大師とがうす、法門多しといへども詮するところ法華・涅槃・華厳経の勝劣の一つ計りなり、智〓法師云く仏法さかさまなり云云、陳主此の事をたださんがために南北の十師の最頂たる恵〓僧上・恵光僧都・恵栄・法歳法師等の百有余人を召し合わせられし時・法華経の中には「諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云、又云く「已今当説最為難信難解」等云云、已とは無量義経に云く「摩訶般若華厳海空」等云云、当とは涅槃経に云く「般若はら蜜より大涅槃を出だす」等云云、此の経文は華厳経・涅槃経には法華経勝ると見ゆる事赫赫たり・明明たり・御会通あるべしと・せめしかば、或は口をとぢ・或は悪口をはき・或は色をへんじなんど・せしかども、陳主立つて三拝し百官掌をあわせしかば力及ばずまけにき。 一代の中には第一法華経にてありしほどに像法の後の五百に新訳の経論重ねてわたる大宗皇帝の貞観三年に玄奘と申す人あり・月支に入りて十七年・五天の仏法を習いきわめて貞観十九年に漢土へわたりしが・深密経・瑜伽論・唯識論・法相宗をわたす、玄奘云く「月支に宗宗多しといへども此の宗第一なり」大宗皇帝は又漢土第一の賢王なり・玄奘を師とす、此の宗の所詮に云く「或は三乗方便・一乗真実」或は一乗方便・三乗真実・又云く「五性は各別なり・決定性と無性の有情は永く仏に成らず」等と云云、此の義は天台宗と水火なり・而も天台大師と章安大師は御入滅なりぬ・其の已下の人人は人非人なり・すでに天台宗破れてみへしなり。 其の後則天皇后の御世に華厳宗立つ・前に天台大師にせめられし六十巻の華厳経をば・さしをきて後に日照三蔵のわたせる新訳の華厳経八十巻をもつて立てたり、此の宗のせんにいわく華厳経は根本法輪・法華経は枝末法輪等云云、則天皇后は尼にてをはせしが内外典に・こざかしき人なり、慢心たかくして天台宗をさげをぼしてありしなり、法相といゐ・華厳宗といゐ・二重に法華経かくれさせ給う。 其の後玄宗皇帝の御宇に月支より善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・大日経・金剛頂経・蘇悉地経と申す三経をわたす、此の三人は人がらといゐ・法門といゐ・前前の漢土の人師には対すべくもなき人人なり、而も前になかりし印と真言とを・わたすゆへに仏法は已前には此の国になかりけりと・をぼせしなり、此の人人の云く天台宗は華厳・法相・三論には勝れたり・しかれども此の真言経には及ばずと云云、其の後妙楽大師は天台大師のせめ給はざる法相宗・華厳宗・真言宗をせめ給いて候へども・天台大師のごとく公場にてせめ給はざれば・ただ闇夜のにしきのごとし、法華経になき印と真言と現前なるゆへに皆人一同に真言まさりにて有りしなり。 像法の中に日本国に仏法わたり所謂欽明天皇の六年なり、欽明より桓武にいたるまで二百余年が間は三論・成実・法相・倶舎・華厳・律の六宗・弘通せり、真言宗は人王四十四代・元正天皇の御宇にわたる、天台宗は人王第四十五代・聖武天王の御宇にわたる、しかれども・ひろまる事なし、桓武の御代に最澄法師・後には伝教大師とがうす、入唐已前に六宗を習いきわむる上・十五年が間・天台・真言の二宗を山にこもり給いて御覧ありき、入唐已前に天台宗をもつて六宗をせめしかば七大寺皆せめられて最澄の弟子となりぬ、六宗の義やぶれぬ、後延暦廿三年に御入唐・同じき廿四年御帰朝・天台・真言の宗を日本国にひろめたり、但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向つてとかざるか。 同代に空海という人あり後には弘法大師とがうす、延暦廿三年に御入唐・大同三年御帰朝・但真言の一宗を習いわたす、此の人の義に云く法華経は尚華厳経に及ばず・何に況や真言にをひてをや。 伝教大師の御弟子に円仁という人あり・後に慈覚大師とがうす、去ぬる承和五年の御入唐・同十四年に御帰朝・十年が間・真言・天台の二宗をがくす、日本国にて伝教大師・義真・円澄に天台・真言の二宗を習いきわめたる上・漢土にわたりて十年が間・八箇の大徳にあひて真言を習い・宗叡・志遠等に値い給いて天台宗を習う、日本に帰朝して云く天台宗と真言宗とは同じく醍醐なり倶に深秘なり等云云、宣旨を申して・これにそう。 其の後円珍と申す人あり後には智証大師とがうす、入唐已前には義真和尚の御弟子なり、日本国にして義真・円澄・円仁等の人人に天台・真言の二宗習いきわめたり、其の上去ぬる仁嘉三年に御入唐・同貞観元年に御帰朝・七年が間・天台・真言の二宗を法全・良〓等の人人に習いきわむ、天台・真言の二宗の勝劣は鏡をかけたり、後代に一定あらそひありなん・定むべしと云つて天台・真言の二宗は譬へば人の両の目・鳥の二の翼のごとし、此の外異義を存ぜん人人をば祖師伝教大師にそむく人なり山に住むべからずと宣旨を申しそへて弘通せさせ給いき・されば漢土日本に智者多しといへども此の義をやぶる人はあるべからず、此の義まことならば習う人人は必ず仏にならせ給いぬらん、あがめさせ給う国王等は必ず世安穏にありぬらんとをぼゆ。 但し予が愚案は人に申せども、御もちゐあるべからざる上・身のあだとなるべし、又きかせ給う弟子檀那も安穏なるべからずと・をもひし上其の義又たがわず、但此の事は一定仏意には叶わでもや・あるらんとをぼへ候、法華経一部・八巻・二十八品には此の経に勝れたる経をはせば此の法華経は十方の仏あつまりて大妄語をあつめさせ給えるなるべし、随つて華厳・涅槃・般若・大日経・深密等の経経を見るに「諸経の中に於て最も其の上に在り」の明文をやぶりたる文なし、随つて善無畏等・玄奘等・弘法・慈覚・智証等・種種のたくみあれども法華経を大日経に対して・やぶりたる経文は・いだし給わず、但印・真言計りの有無をゆへとせるなるべし、数百巻のふみをつくり漢土・日本に往復して無尽のたばかりをなし宣旨を申しそへて人を・をどされんよりは経文分明ならば・たれか疑をなすべき、つゆつもりて河となる・河つもりて大海となる・塵つもりて山となる・山かさなりて須弥山となれり・小事つもりて大事となる・何に況や此の事は最も大事なり、疏をつくられけるにも両方の道理・文証をつくさるべかりけるか、又宣旨も両方を尋ね極めて分明の証文をかきのせて・いましめあるべかりけるか。 已今当の経文は仏すら・やぶりがたし・何に況や論師・人師・国王の威徳をもつて・やぶるべしや、已今当の経文をば梵王・帝釈・日月・四天等・聴聞して各各の宮殿にかきとどめて・をはするなり、まことに已今当の経文を知らぬ人の有る時は・先の人人の邪義は・ひろまりて失なきやうにては・ありとも・此の経文を・つよく立て退転せざるこわ物出来しなば大事出来すべし、いやしみて或はのり・或は打ち・或はながし・或は命をたたんほどに・梵王・帝釈・日月・四天をこりあひて此の行者のかたうどを・せんほどに・存外に天のせめ来りて民もほろび・国もやぶれんか、法華経の行者はいやしけれども・守護する天こわし、例せば修羅が日月をのめば頭七分にわる・犬は師子をほゆれば・はらわたくさる、今予みるに日本国かくのごとし、又此れを供養せん人人は法華経供養の功徳あるべし、伝教大師釈して云く「讚めん者は福を安明に積み謗せん者は罪を無間に開かん」等云云。 ひへのはんを辟支仏に供養せし人は宝明如来となり・つちのもちゐを仏に供養せしかば閻浮提の王となれり、設いこうをいたせども・まことならぬ事を供養すれば大悪とは・なれども善とならず、設い心をろかに・すこしきの物なれども・まことの人に供養すれば・こう大なり、何に況や心ざしありて、まことの法を供養せん人人をや。 其の上当世は世みだれて民の力よわし、いとまなき時なれども・心ざしのゆくところ・山中の法華経へまうそうか・ たかんなををくらせ給う福田によきたねを下させ給うか、なみだもとどまらず。