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無量義経・涅槃経の文に顕然である。阿含経で証得する覚りの果は、ただ個人の覚りに執着する小乗にすぎない。したがって次に広大な衆生を救う大乗を説いたのである。方等より以後はすべて大乗というけれども、大乗のはじめであるので方等部を方等というのである。例えば十八界[六識・六根・六境]の十と半分は色法であるが、初めに従ってまとめて色境の名を立てるようなものである。
問う。
方等部の諸経の後に何れの経を説かれたか。
答える。
般若経である。
問う。
何をもってそれを知るのか。
答える。
涅槃経にこうある。
「方等より般若を出す」
問う。 般若経の後には何れの経を説かれたか。
答える。 無量義経である。
問う。 何をもってそれを知るのか。
答える。 仁王経にこうある。 「二十九年中(如来は成道して二十九年すでに我がために摩訶般若経を説かれた)」 無量義経にはこうある。 「四十余年(四十年余りは真実をあらわさない)」
問う。 無量義経には般若経の後に華厳経を列ね、涅槃経には般若経の後に涅槃経を列ねている。今の所立の順序は般若経の後に無量義経を列ねている。相違はなにか。
答える。 涅槃経第十四の文を見ると、涅槃経以前の諸経を列ねて、涅槃経に対しては勝劣を論じているが、法華経は挙げていない。第九の巻においては、法華経は涅槃経より以前であると定められている。法華経の序品を見ると、無量義経は法華経の序分である。無量義経には般若の次に華厳経を列ねているが、華厳経を初時に位置づけると、般若経の後は無量義経となる。
問う。 無量義経の後に何れの経を説かれたか。
答える。 法華経を説かれた。
問う。 何をもってそれを知るのか。
答える。 法華経の序品にこうある。 「多くの菩薩の為に無量義[全世界の森羅万象・事物事象の一切]・菩薩を教化するための法・仏所護念と名づける大乗経を説かれた。仏はこの経を説き終わって結跏趺坐し無量義処三昧に入った」
問う。 法華経の後に何れの経を説かれたか。
答える。 普賢経を説かれた。
問う。 何をもってそれを知るのか。
答える。 普賢経にこうある。
「この後、三月たって私はまさに涅槃に入るであろう。(中略)如来は昔、耆闍崛山及びほかの住んでいる場所において、すでに広く成仏の教えを分別し、今もこの場所で説法している」
問う。 普賢経の後に何れの経を説かれたか。
答える。 涅槃経を説かれた。
問う。 何をもってそれを知るのか。
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