同志と共に

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守護国家論(しゆごこつかろん)

諸経においては多く三乗の現身の得道を説くので、末代においては現身得道の者は少ない。十方の浄土に往生することを説いた教えの多くは末代の機の者のためである。これについて西方極楽は、娑婆世界の隣の近さにあるため、また最も劣った浄土であるため、あるいは太陽が東から出て西に沈むため、諸経の多くがこれを勧めているのである。したがって浄土の祖師だけがこの義を勧めているのではなく、天台大師や妙楽大師等もまた爾前の経に依る段階では、しばらくこの説き方をしている。また人師だけではなく、竜樹・天親も同意のことを言っている。これは一つの義なのである。また仁王経等などは、浄土の三部経よりなお永く末法万年の後八千年間続くだろうと言っている。したがって爾前の諸経においては決定できない。
第二に法華・涅槃と浄土の三部経との久住・不久住とを明かす。
問う。
法華・涅槃と浄土の三部経では何れが先に滅するであろうか。
答える。
法華・涅槃より以前に浄土の三部経は滅するであろう。
問う。
何をもってそれを知るのか。
答える。
無量義経に四十年余りの大部の諸経を挙げおわって「未顕真実」といっているので、雙観経等の「特にこの経を留める」の言葉はすべて方便であり虚妄である。華厳・方等・般若・観経等の"速疾歴劫の往生成仏"は無量義経の実義をもって考えると、「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎたとしても、終に無上菩提を成ずることは得られない(中略)険しい逕を行くに留難が多いゆえに」という経である。往生も成仏も、ともに別の時に得道するのを即時に成仏するかのように説いているにすぎない。大集・雙観経等に説く経々の存続と滅亡の先後はすべて随宜の一説である。法華経に至る以前は彼の外道の説と同じである。たとえば大河が大海に向かって流れず、民衆や大臣が大王に随わないようなものである。身体を苦しめ修行をしようとも、法華・涅槃に至らなければ一分の利益も無く、有因無果の外道である。在世も入滅後もともに教えのみがあって証得する人は無く、修行はあっても証果は無いのである。多くの木は枯れても松や柏は枯れない。草々は散っても唐竹は変わらない。法華経も同様である。釈尊の三説・多宝仏の証明・諸仏の舌相は、ひとえに令法久住であるゆえである。
問う。
諸経滅尽の後、法華経のみが残るという証文はあるのか。
答える。
法華経の法師品で釈尊自ら流通させるためにこう説かれた。
「私の説いた経典は無量千万億あり、すでに説き今説きまさに説こうとする。しかもその中においてこの法華経は最もこれ難信難解である」
文の意味は一代五十年で已今当の三説において最第一の経であるということであり、八万聖教の中でも殊に未来に留めようとして説かれたのである。