第二に、受け難き人身を受け、会い難き仏法に会うとも、悪知識に会うために三悪道に堕ちることを明かす。
仏蔵経にこうある。
「大荘厳仏の滅後に五人の比丘がいた。一人は正道を知って多くの人を救ったが、四人は邪見に陥っていた。この四人は死んだ後、阿鼻地獄に堕ちて、仰向けになったり、うつ伏せになったり、左向きに伏したり、右向きに伏したりしてそれぞれ九百万億年苦しんだ。(中略)在家や出家でこれらの人に親近した者並びに諸の檀越は凡そ六百四万億人いた。この四師とともに生まれてともに死に、大地獄に堕ちてさまざまに焼かれる苦しみを受けた。大劫という長い時を経てこの四悪人及び六百四万億の人は、この阿鼻地獄より他方の大地獄の中に転生した」
涅槃経三十三にはこうある。
「そのときに城中に一人の尼乾がいた。名を苦得といった。(中略)善星が苦得に問うた。
答えて言った。
"我は食吐鬼の身を得た。善星よはっきりと聞け"(中略)
そのときに善星はすぐに我の所に帰ってきてこう言った。
"世尊よ、苦得尼乾は死んだ後に三十三天に生まれたと"(中略)
そのときに如来はただちに迦葉と善星の所に行かれた。善星比丘は遥かに我が来るのを見て、見終わってたちまち邪悪の心をおこした。この悪心のために生身のまま阿鼻地獄に堕ちた」
善星比丘は仏の菩薩であった時の子である。仏に従い出家して十二部経を受け、欲界の煩悩を滅して四禅定を獲得した。しかしながら悪知識である苦得外道に会い、仏法の正義を信じなかったことにより出家の受戒・十二部経の功徳を失い、生身で阿鼻地獄に堕ちた。苦岸等の四比丘に親近した六百四万億の人は、四師とともに十方の大阿鼻地獄を経るのである。今の世の道俗は選択集を貴ぶ故に、源空の影像を拝して一切経は難行であるとの邪義を読む。例えば尼乾の所化の弟子が尼乾の遺骨を礼して三悪道に堕ちたようにである。願わくば今の世の道俗は選択集の邪正を知り、その後供養・恭敬をしなさい。そうでなければ必ず後悔するだろう。
故に涅槃経にこうある。
「菩薩・摩訶薩よ、悪象等には心に怖畏すること無く、悪知識には怖畏の心を生じなさい。なぜかというと、この悪象等はただ身を破るだけで心は破れない。悪知識は両方破るからである。この悪象等はただ一人の身を破るだけだが、悪知識は無数の善身・無数の善心を破る。この悪象等はただ不浄の臭い身を破壊する。悪知識は浄身及び浄心を破る。この悪象等は肉身を破り、悪知識は法身を破る。悪象に殺されたなら三趣には至らないが、悪友に殺されたなら必ず三趣に至る。
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