そもそも三悪道に生を受けることは大地の微塵より多く、人間として生を受けることは爪の上の土より少ない。更に四十年余りの諸経にあうことは大地の微塵よりも多く、法華経や涅槃経にあうことは爪の上の土より少ないのである。上述の涅槃経の三十三の文を見ると、たとえ一字一句であっても、この経を信じる者は宿縁があり多幸なのである。
問う。 たとえ法華経を信じるといえども、悪縁に随うならどうして三悪道に堕ちないことがあろうか。
答える。 理解する心が無い者が、権教の悪知識に遇って実教から退くならば、悪師を信じる罪によって必ず三悪道に堕ちるのである。かの不軽菩薩を軽んじ毀った民衆は権人である。大通智勝仏に結縁のある者が三千塵点という長い間悪道を経たのは法華経を離れて権教に移ったためである。法華経を信じる人は法華経の信心を捨てて権人に随わうこと以外では、世間の悪業においては法華の功徳に及ばない故に三悪道に堕ちないのである。
問う。 日本国は法華・涅槃と有縁の地なのかどうか。
答える。
法華経第八にこうある。
「如来の滅後において閻浮提の内に広く流布させて断絶しないようにする」
七の巻にはこうある。
「広宣流布して閻浮提において断絶させてはならない」
涅槃経第九にはこうある。
「この大乗経典の大涅槃経もまたまた同様である。南方の諸の菩薩の為にまさに広く流布しなさい」
三千世界広しといえども仏が自ら法華経・涅槃経が南方に流布すると定められた。南方の諸国の中に日本国は殊に法華経の流布すべき所である。
問う。 その証文はなにか。
答える。 肇公の法華翻経の後記に、羅什三蔵が須利耶蘇摩三蔵にあわれて、法華経を授かる時の言葉として、「仏日が西山に隠れ、その余光は東北を照らす。この経典は東北の諸国に有縁である。あなたは慎んで伝え弘めなさい」とある。東北とは日本のことである。西南のインドから東北の日本を指すのである。故に慧心の一乗要決に「日本一州は円教の機根で純一である。朝廷も在野も遠きも近きも同じく一乗に帰依し、出家も在家も貴賎もことごとく成仏を期する」とある。願わくば、日本国の道・俗は選択集を信じる長い習慣を捨てて、法華・涅槃の現文を依りどころとし、肇公・慧心の日本記を頼みとして、法華経を修行して安らかな心を得るべきである。
問う。 法華経修行の者は、どのような浄土を期す可きか。
答える。
法華経二十八品の肝心たる寿量品にこう説かれている。
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