同志と共に

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P0074
守護国家論(しゆごこつかろん)

迦葉自身並びに所化の弟子が今初めて法華経の所説の常住の仏性や久遠実成を覚る故に、我が身を指してこれより以前は邪見であったというのである。法華経以前の無量義経で嫌われた諸経を涅槃経で重ねてこのことを挙げて嫌うのであり、法華経を嫌うことではない。また涅槃論に至っては、これらの論は書き付けてあるように、天親菩薩が著され菩提流支が訳したが、経文に相違することが多い。涅槃論もまた根本の経典に相違している。これらは訳者の誤りであり、信用するに及ばないと知るべきである。
問う。
先の教に漏れた者を、後の教で承け取って得道させることを流通というなら、阿含経は華厳経の流通となるのか。また法華経は前四味の流通となるのか。
答える。
前四味の諸経は菩薩や人界・天界等の得道を許すが、決定性の二乗や無性闡提の成仏を許していない。そのうえ仏意を探って真実によってこれを考えると、また菩薩や人界・天界等の得道も無い。十界互具を説かないので久遠実成もないゆえである。
問う。
証文はあるのか。
答える。法華経方便品にこうある。
「もし小乗をもって一人でも教化するならば、我は慳貪に堕ちる。この事は全くよくない」
この文の趣意は今選択集の邪義を破折する為であり、他の事を詳しく述べるところではないので、爾前の得道の有無の実義はここでは出さず、追って考える。ただし四十年余りの諸経は真実には凡夫の得道もないのであるから、法華経は爾前の流通となるわけではない。法華経において十界互具・久遠実成を顕わされたので、涅槃経は法華経の流通となるのである。
大文の第七として、質問に従って答えを明かす。
もし末代の愚人が上の六門によって万が一にも法華経を信じたならば、権宗の諸人は自らの惑いや偏執によって法華経の行者を破ろうとする為に、多く四十年余り並びに涅槃経等の諸経を引いて非難するだろう。しかるに権教を信じる人は多く、あるいは威しや勢いによって、あるいは世間の資縁によって、人の意に従って世間を渡ろうとする為に非難するだろう。あるいは権教には学者が多く実教に智者は少ない。どちらが正しいかとなると、万が一にも実教を信じる者はいないであろう。このためにこの一段を設けて権人の邪難を防ぐ。
問う。
諸宗の学者が非難して「華厳経は報身如来の所説であり、七処・八会で説かれた教えは、すべて頓極頓証の法門である。